

【秘録】警察庁長官銃撃事件
1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った。この未曾有の事件のわずか10日前に起きたのが、オウム真理教による地下鉄サリン事件だ。
オウムと警察が全面対決するなか、警視庁の捜査員は長官銃撃犯を追い詰めるべく捜査を続けたが、2010年に未解決のまま時効を迎えた。
なぜ犯人検挙に至らなかったのか。
捜査員は何を見聞きし、誰を追っていたのか?
事件発生から間もなく30年。入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。


#36 名刑事「落としの金七」による警察庁長官銃撃事件の考察メモ「絶対何らかの形で関与している」断言したオウム真理教幹部の名前


#35警察庁長官銃撃犯が着用?オウム信者の警察官所有のコートに“穴”スプリングエイト鑑定で判明した銃撃の痕跡


#34「警察庁長官を銃撃した」証言したX巡査長の“虚と実”…現場付近で「職務質問受けた」証言の理由は“防衛目的”オウム側への名刺貸与か


#33長官銃撃犯はオウム信者端本悟元死刑囚なのか…教団信者の“見立て”「高位信者以外実行できない」浮上する犯人像


#32捜査報告書に記された教祖・麻原のマインドコントロール…長官銃撃事件で浮上した端本悟元死刑囚「情に脆い自分にとっての殺し文句」籠絡の言葉


#31オウム端本悟元死刑囚と警察庁長官銃撃事件目撃情報との共通点…アリバイもなし 犯行自供した“信者警察官”Xは一転否認【警察庁長官銃撃事件から30年】


#30オウム幹部の早川元死刑囚と長官銃撃“自供”の信者警察官X氏が事件当日接点か…“灰色コート”と自動車ルートに迫る捜査員【警察庁長官銃撃事件から30年】


#29警察庁長官銃撃事件の現場周辺で目撃されたオウム信者たち…教団内パワーバランスの変化で揺れ動く“銃撃自供”の現役警察官信者Xの手綱


#28「あの人犯人じゃないですよ」警察庁長官を撃ったと“自供”したオウム信者の警察官と現場目撃情報の不一致…デタラメ供述の目的は


#27“警察庁長官銃撃を自供”した現職警察官の証言「神田川に銃を捨てた」は真実か…暴露により裏取り捜査着手するも生じる“食い違い”


#26組織的隠蔽…警察庁長官銃撃を“自供”したオウム信者の警察官を隠蔽した背景に国松長官の“負い目”か…オウムへの組織的“怨嗟”も


#25【暴露】「警察史上例のない不祥事」長官銃撃事件を自供したオウム信者警察官の存在が露わに…隠蔽批判で警視庁幹部更迭の激震


#24「本物の拳銃じゃないですか?」警察庁長官銃撃を“自供”したオウム信者の警察官が寮で後輩に見られた“銃”


#23 警察庁長官銃撃事件の現場で目撃された不審車両とオウム信者の警察官を繋ぐ点と線「井上死刑囚に頼まれた」


#22「殺そうという気持ちで撃ちました」警察庁長官銃撃を“自供”の現職“オウム信者”警察官が語る犯行の詳細「オウムを守った、救済した」


#21 警察庁長官「銃撃した」と自供の警察官を隠した警視庁幹部「裏を取るな」オウム井上死刑囚「撃ってください。これは救済です」


#20「警察庁長官を撃ちました」オウム信者の現職警察官を自供させた捜査員の言葉…嘘を追及し「一緒に考えよう」


#19 警察庁長官銃撃の実行犯の“逃走を支援”とオウム信者の巡査長が供述…極秘取り調べで語った事件との関与


#18 オウム信者の警視庁巡査長が張った“蜘蛛の糸”…警察庁長官銃撃事件関与認め“未把握情報”供述も捜査員感じた“フラストレーション”


#17 「警察手帳を出して逃走を助ける防衛役でした」“オウム信者”警察官が語った長官銃撃事件への関与「敵を攻撃します」幹部が勧誘と証言


#16 オウム信者の警察官「イニシエーションの光が…」マインドコントロール下の長官銃撃事件極秘取り調べ「記憶が繋がらない」


#15 警視庁巡査長「私自身がオウム」長官銃撃事件への関与に迫る捜査員との攻防を記した供述調書「裏付け捜査行うな」異様なホテル取り調べ


#14 捜査資料入手…オウム信者の警視庁X巡査長“長官銃撃事件”当日の「行動概要」判明 教団への情報漏洩認めるもちりばめられた「嘘」


#13 長官銃撃事件に“オウム信者”現職巡査長が関与か…警視庁の“ウラ”人事一課実働部隊に語った“ナンバー照会”と教祖逮捕受けた「自殺願望」


#12 オウム信者の警視庁巡査長が地下鉄サリン事件の捜査本部に…警視庁に激震もたらす“井上証言”長官銃撃事件への関与可能性浮上


#11 教祖「警視総監の首根っこを振り回して来いと言ったらどうするか」警察庁長官銃撃事件の“犯行声明”音声と「酷似」と鑑定されたオウム信者


#10 「尊師はやっぱ変なんですよ」完全黙秘のオウム幹部を切り崩す警視庁公安部「纐纈(こうけつ)基本訓」長官銃撃“犯行予告”の声はオウム信者と証言


#9 “おしゃべりな男”警察庁長官銃撃事件の現場近くで目撃されたオウム幹部「ちょっと疲れて…」薩摩隼人の取調官が暴いた嘘


#8 朝鮮人民軍のバッジと韓国10ウォン硬貨…警察庁長官銃撃現場に残された痕跡 凶器のコルト・パイソンは「非常に撃ち易い銃」


#7 失われた“ソバージュの男”の防犯カメラ映像…国松長官銃撃事件直前に警察トップの自宅を訪問した不審者が


#6 警察トップの自宅を双眼鏡で覗く男…オウム死刑囚が署長公舎前に?長官銃撃事件の前後で不審者情報多数


#5 「まるでフランス映画のような…」警察庁長官を撃った男を追え 空前絶後の巨大捜査本部があぶり出した“175センチくらいの男”


#4 空前絶後の捜査本部…140名の捜査員が追った長官銃撃事件のホシ 地取り捜査で浮上した不審者情報


#3 警察庁長官銃撃犯を追った“極左ハンター”未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」の10日後に轟いた4発の銃声


#2 警察最高幹部が見せた長官銃撃事件“容疑者”の写真「敗軍の将、兵を語らず」未解決事件を15年追った男が残した言葉


#1 「私が長官をお守りできなかった」時効直前の告白…警察庁長官を撃ったのは誰なのか?数千ページの捜査資料に刻まれた捜査員の苦闘


【未解決事件】警察庁長官銃撃事件の発生から今年で30年…オウム信者の警視庁巡査長が一時犯行自供も時効成立の理由

1995年3月に起きた、日本警察のトップである警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負うという未曾有の事件。発生からまもなく30年を迎える。
発生当初から坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件、そして地下鉄サリン事件という未曾有の重大事件を引き起こした『オウム真理教』の関与が取り沙汰されてきたが、事件は未解決のまま時効を迎えている。
日本の治安を揺るがしたこの重大事件は、なぜ未解決となったのだろうか。
自転車で逃走した男
事件は1995年3月30日、オウム真理教が起こした『地下鉄サリン事件』の10日後の午前8時31分に発生した。

荒川区南千住の自宅マンションから出勤した国松孝次警察庁長官(当時)が、通用口を出たところで、背後から拳銃4発を発砲されたのだ。
弾丸は国松長官の背中や腰などに3発命中し、長官は何度も心臓が止まるなど瀕死の重傷だったが、一命を取り留めた。

犯行に使われた銃はコルトパイソンとみられ、弾丸はマグナム弾。特に殺傷力を高めるため先端をくぼませた「ホローポイント」とよばれるものだった。
また現場には韓国の10ウォン硬貨と北朝鮮のバッヂが残されていた。
警視庁は南千住署に捜査本部を設置し、捜査に乗り出した。

国松長官を撃った男は、拳銃を発射した後、近くに停めてあった黒っぽい自転車に乗って逃走。年齢は30歳〜40歳前後、身長は170cm〜180cmくらいで、黒っぽい帽子に白いマスクを付け、黒っぽいコートを着ていたという目撃情報があった。
現場付近では、同一人物と見られる男が自転車で疾走する姿が複数目撃されていたが、その後の足取りは追えず、捜査は混迷を極め始める。

また、事件が発生した日、マスコミにある電話が掛かってきた。
その内容は「オウム」に対する捜査を中止するよう求めるもので、要求が認められない場合、他の警察最高幹部などに危害が発生するという脅迫電話だった。
翌日には、「この事件は教団つぶしの陰謀だ」というような内容のオウム真理教名義のビラが配られた。そして他にも、別の事件で逮捕されていたオウム真理教の幹部が、信者が関与している疑いがあるようなことを話していたことから、この事件はオウム真理教による犯行とみて、捜査は進められることとなる。
「自分が撃った」と話した巡査長
警視庁はその後、マスコミに脅迫電話をかけたとしてオウム幹部の男を逮捕するが、証拠不十分で釈放。
捜査が遅々として進まないなか、事件の翌年の1996年、ある男の供述から捜査は思わぬ方向に動き出す。
「自分が撃った」
そう証言したのは、地下鉄サリン事件の捜査にも加わっていた警視庁の巡査長(その後懲戒免職)だった。現職の警察官が、長官を狙撃したのか…。この巡査長は、オウム真理教の在家信者だった。

この巡査長は、事件の翌年、オウム真理教教祖の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が、初公判で自分の責任を回避する意味合いにもとれる「聖無頓着(せいむとんちゃく)」と発言したことを知って憤慨し、「銃を神田川に捨てた」など、犯行の具体的な状況などを話し、事件への関与を認める供述を始めたという。
しかし、警視庁はこの供述を前に“迷走”をはじめる…。
