オウム真理教による地下鉄サリン事件から10日後の1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った事件は、2010年に未解決のまま時効を迎えた。
時効成立時の警視庁公安一課長・栢木國廣や“薩摩隼人” 石室紀男警部(仮名)らが入った特別捜査本部は、現場周辺でオウム真理教幹部の矢野隆(仮名)の目撃情報を得た。
別の件で逮捕された矢野は調べに対し、テレビ朝日への“長官銃撃事件犯行声明電話”はオウム信者の金子牧男(仮名)の声だと断言した。
事件発生から間もなく30年。
入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、当時の捜査員が何を考え何を追っていたのか、そして「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。
(前話『「尊師はやっぱ変なんですよ」完全黙秘のオウム幹部を切り崩す警視庁公安部「纐纈(こうけつ)基本訓」長官銃撃“犯行予告”の声はオウム信者と証言』はこちらから)
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六本木のホテルアイビス
取り調べの裏で、特捜本部は長官銃撃事件直前の矢野の行動について裏付け捜査を進めていた。
逮捕時の矢野の所持品からタクシーの領収書と青山ブックセンターのレシートが見つかっている。
タクシーの領収書から3月28日午前2時55分頃、青山トンネル付近から六本木に立ち寄ったことが判明した。
矢野を乗せたタクシー運転手に矢野を降ろした正確な場所を確認したところ、六本木の「ホテルアイビス」の裏で降ろしたと証言する。

このアイビスというホテルで何か謀議を行っていた形跡がないか更に調べたところ、前日の27日午後0時頃、教団幹部の島田理恵子(仮名)が自分の実名でチェックインしていたことが判明したのである。
矢野はこのアイビスに立ち寄った可能性があるとみられた。
しかし、特捜本部は教団幹部が秘密のワーク(仕事)をする際に実名を使うだろうか、という疑問を持っていた。ホテルなどの予約は通常偽名でやっていたからだ。
島田がわざと実名を使った理由が何かある。そうした疑問はずっと晴れなかったが、矢野が持っていたもう1枚のタクシーの領収書から、矢野はアイビスに泊まらず、その後28日午前3時45分に六本木から南青山までタクシーで移動していたことも判明する。
アイビスで矢野と島田は何をしていたのか、この時点では何も見えてくるものはなかった。
複数機関による音声鑑定
テレビ朝日にかかってきた電話の声の主は誰なのか。
捜査員は1995年6月頃、金子のいる東京・杉並区にある阿佐谷道場に向かった。そして道場の前で金子が現れるのを待ち、出てきたところで声をかけ、金子の声を録音する。
金子の声とテレビ朝日の音声は、直ちに科学警察研究所で声紋鑑定が行われた。

科警研の鑑定と同時並行して、日本音響研究所にも鑑定を依頼する。またテレビ朝日の録音音声について、茨城のイントネーションという話が矢野から出たので、方言の研究者や、声でドアが開閉するシステムを研究している企業にも協力を依頼。録音の声が金子のものであるかどうか調べた。