オウム真理教による地下鉄サリン事件から10日後の1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った。
事件との関与が浮上した、オウム信者であり警視庁の現役警察官でもあるXは「警察庁長官を撃った」と証言したが、その供述はデタラメばかりで、結局不起訴となった。

一方、教団とは無関係で、2002年11月に拳銃で現金輸送車を襲撃して逮捕された男・中村泰(なかむら・ひろし)は「自分が長官を撃った」と供述。関係先からは拳銃や銃弾、偽造パスポートが発見され、現場での下見や犯行の状況について具体的に話し始めていた。

発生から30年を迎えた警察庁長官銃撃事件。
入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、当時の捜査員が何を考え誰を追っていたのか、「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。

警察トップが銃撃された事件は未解決で時効を迎えた(1995年3月撮影)
警察トップが銃撃された事件は未解決で時効を迎えた(1995年3月撮影)
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(前話『「完全に誤認逮捕」警視庁が国松長官銃撃でオウム信者逮捕も“狙撃”自供の男「結末がつけられないでしょう」サブマシンガン携帯も』はこちらから)
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2004年9月、警視庁南千住署特捜本部が逮捕したオウム信者の4人は結局、不起訴処分となる。その裏で、中村が事件直前に現場に赴き下見をして知り得たかのような話をし始めていたことから、刑事部は継続捜査が必要と判断し立川市内に捜査拠点を作った。原雄一係長を筆頭に捜査員10人程度による中村捜査班の誕生である。

中村泰元受刑者
中村泰元受刑者

原は2004年10月から翌年3月にかけて中村を月に数回の頻度(2~5回)で取り調べた。中村を落とすため捜査班を立ち上げ、取り調べの頻度も上げていったのである。

凶器の拳銃はアメリカで購入

原の調べの焦点は逃走経路と凶器となった拳銃の入手先に絞られていく。しかし話が核心の部分に触れると中村は相変わらず「一般的には~と言うことができます」などと評論家のような供述を繰り返していた。この取り調べで犯人しか知り得ない秘密の暴露を中村から引き出さないと捜査は打ち切らざるを得ない。のらりくらりの中村に原の堪忍袋の緒が切れた。

「公安部が懸命に捜査している事件を刑事部が邪魔をする必要はない。あんたが真犯人であるという確証がなければ、いつまでもあんたの話し相手になっていられない。凶器の拳銃はどこで手に入れたのか」

決して怒鳴りはしなかったが、普段温厚な男が珍しく強い言葉で迫ったという。

凶器と同型の拳銃(捜査資料より)
凶器と同型の拳銃(捜査資料より)

その豹変ぶりに気圧されたのか、中村は「1987年ころ、サウスゲートのファイアストーン・ブルバードにあったウェザビーというガンショップで、8インチ銃身の357マグナム口径のコルト・パイソンを600~700ドルで購入しました。
『Teruo KOBAYASHI』名義のカリフォルニア州の運転免許証を使って購入したんです。その時の店員はやや太った白人でした。この店はその後なくなってしまいました 」と具体的な話をし始めた。

拳銃購入について具体的な話が出たことで、原は内心のけ反りたくなるほど驚いていたが、能面の様な表情で更に畳みかけた。

「あなたは本当に狙撃の犯人なのか?それとも狙撃の犯人になりたい人なのか?どちらなんだ?逃走経路は話せないのか?狙撃犯でないなら捜査は終わりにさせてもらう」

取調官から捜査の打ち切り宣言である。自分にスポットライトを向けている原がライトを消すと言った。鬼気迫る原の詰問に興奮した中村は急に立ち上がって、犯行直後の逃走について次のように大声で言い放ったという。