1995年3月に起きた、日本警察のトップである警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負うという未曾有の事件。発生から今年で30年を迎える。

発生当初から坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件、そして地下鉄サリン事件という未曾有の重大事件を引き起こした『オウム真理教』の関与が取り沙汰されてきたが、事件は未解決のまま時効を迎えている。

日本の治安を揺るがしたこの重大事件は、なぜ未解決となったのだろうか。

自転車で逃走した男

事件は1995年3月30日、オウム真理教が起こした『地下鉄サリン事件』の10日後の午前8時31分に発生した。

銃撃された国松孝次警察庁長官(当時)
銃撃された国松孝次警察庁長官(当時)
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荒川区南千住の自宅マンションから出勤した国松孝次警察庁長官(当時)が、通用口を出たところで、背後から拳銃4発を発砲されたのだ。

弾丸は国松長官の背中や腰などに3発命中し、長官は何度も心臓が止まるなど瀕死の重傷だったが、一命を取り留めた。

凶器と同型の銃 捜査資料より
凶器と同型の銃 捜査資料より

犯行に使われた銃はコルトパイソンとみられ、弾丸はマグナム弾。特に殺傷力を高めるため先端をくぼませた「ホローポイント」とよばれるものだった。

また現場には韓国の10ウォン硬貨と北朝鮮のバッヂが残されていた。

警視庁は南千住署に捜査本部を設置し、捜査に乗り出した。

現場で発見された北朝鮮のバッジと韓国の10ウォン硬貨 捜査資料より
現場で発見された北朝鮮のバッジと韓国の10ウォン硬貨 捜査資料より

国松長官を撃った男は、拳銃を発射した後、近くに停めてあった黒っぽい自転車に乗って逃走。年齢は30歳〜40歳前後、身長は170cm〜180cmくらいで、黒っぽい帽子に白いマスクを付け、黒っぽいコートを着ていたという目撃情報があった。

現場付近では、同一人物と見られる男が自転車で疾走する姿が複数目撃されていたが、その後の足取りは追えず、捜査は混迷を極め始める。

事件前日には現場マンションでオウム真理教のチラシがポスティングされていた
事件前日には現場マンションでオウム真理教のチラシがポスティングされていた

また、事件が発生した日、マスコミにある電話が掛かってきた。

その内容は「オウム」に対する捜査を中止するよう求めるもので、要求が認められない場合、他の警察最高幹部などに危害が発生するという脅迫電話だった。

翌日には、「この事件は教団つぶしの陰謀だ」というような内容のオウム真理教名義のビラが配られた。そして他にも、別の事件で逮捕されていたオウム真理教の幹部が、信者が関与している疑いがあるようなことを話していたことから、この事件はオウム真理教による犯行とみて、捜査は進められることとなる。

「自分が撃った」と話した巡査長

警視庁はその後、マスコミに脅迫電話をかけたとしてオウム幹部の男を逮捕するが、証拠不十分で釈放。

捜査が遅々として進まないなか、事件の翌年の1996年、ある男の供述から捜査は思わぬ方向に動き出す。

「自分が撃った」

そう証言したのは、地下鉄サリン事件の捜査にも加わっていた警視庁の巡査長(その後懲戒免職)だった。現職の警察官が、長官を狙撃したのか…。この巡査長は、オウム真理教の在家信者だった。

麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚
麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚

この巡査長は、事件の翌年、オウム真理教教祖の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が、初公判で自分の責任を回避する意味合いにもとれる「聖無頓着(せいむとんちゃく)」と発言したことを知って憤慨し、「銃を神田川に捨てた」など、犯行の具体的な状況などを話し、事件への関与を認める供述を始めたという。

しかし、警視庁はこの供述を前に“迷走”をはじめる。

具体的な供述を得ていながら、半年後にマスコミに対して、「犯人がオーム信者(※原文ママ)の警視庁警察官」などという内容の内部告発と見られる文書がまかれるまでの間、警視庁は供述の裏付け捜査を行わず、警察庁に報告もしていなかった。

マスコミに送付された内部告発とみられる文書
マスコミに送付された内部告発とみられる文書

警視庁は内部告発を受けて、神田川の捜索を2ヶ月に渡って進めるが、凶器の拳銃は見つからなかった。さらに、供述に不自然な点が多かったことなどから、元巡査長の事件への関与を裏付けることができず、立件は見送られた。

神田川では2カ月にわたり凶器の拳銃の捜索が行われた
神田川では2カ月にわたり凶器の拳銃の捜索が行われた

一連の失態で、当時の警視庁公安部長が更迭される事態となった。

逮捕されたオウム信者の4人

2004年、事件発生から9年が経ち、再び捜査が動き出す。

乏しい物証の中、関係者の証言を積み重ねるなどして、元巡査長の他、教団幹部など合わせて4人が逮捕された。

現場となったマンション 1995年3月30日
現場となったマンション 1995年3月30日

元巡査長が事件直前に現場の下見をしていた際、職務質問をした警察官がいて、この警察官が名乗り出たことなどから、少しずつ捜査が進展。

事情聴取などを進め逮捕にこぎ着けたが、実行犯の最終的な特定ができていない上での立件だった。

警視庁は元巡査長が当時所有していたコートなどを大型分析施設「SPring-8」で分析。

すると事件で発射された銃弾と同じ成分の微粒子が検出され、元巡査長は「別の信者に貸したが、誰に貸したかは覚えていない」「当日コートを現場へ持っていき、信者に似た男にコートを手渡した」、「他の信者らと3人で現場に下見に行った」などと供述したと、当時報道されているが、逮捕された4人全員が否認したり、実行犯ではないと話していた。

狙撃犯役として銃を構える捜査員 1995年
狙撃犯役として銃を構える捜査員 1995年

その後、元巡査長は「自分が撃ったような気がする」などと供述を一転させ、東京地検は「教団の組織的犯行の疑いはあるが、これまでの証拠では、実行犯を特定し、共犯関係を認定することは困難」として、起訴を見送り釈放。

その後在宅で4人の取調べを続けたが、最終的に元巡査長の供述は信用できないとの結論に達し、全員を不起訴にした。

このことで、逮捕に踏み切った警視庁の捜査手法も問われることにもなってしまった。

時効直前の必死の捜査

凶器も、信用に足る供述も得られないまま、時効が近づくなか、時効前年の2009年、警視庁は改めて不起訴となった元巡査長への事情聴取を再開し、公安部幹部が直接話を聴くなどしたが、元巡査長は曖昧な供述を続けていた。

元巡査長のコートやメガネ、マスク、机などからは、拳銃を発砲したときに出る火薬の成分の一部などが検出されたことがわかっていたが、元巡査長は「コートは人に貸しただけで、自分はやっていない」と容疑を否認。

収監中の松本元死刑囚への事情聴取も試みたが…
収監中の松本元死刑囚への事情聴取も試みたが…

さらに時効直前の2010年の1月には、当時収監中だった松本元死刑囚に、事情聴取を要請したが、自分の房から出ることを拒否したため、実現しないままに終わった。

死刑囚への事情聴取は極めて異例だった上、そもそも警視庁が松本元死刑囚に接触するのは、2004年以来だったため、注目を浴びた。

時効成立後に…

2010年3月30日、事件発生から15年が経ったこの日、延べ50万人の捜査員を投入し、懸命の捜査を続けてきた警視庁は犯人逮捕には至らず、時効が成立した。

時効成立受けて会見する警視庁の青木五郎公安部長(当時) 2010年3月
時効成立受けて会見する警視庁の青木五郎公安部長(当時) 2010年3月

警視庁の当時の公安部長は、異例とも言える時効成立後の会見を行い、次のように発言した。

「事件が未解決に終わった理由につきましては私どもの力が及ばなかったということに尽きる。これまでの捜査結果からこの事件はオウム真理教の信者グループが教祖の意思の元に組織的計画的に敢行したテロであったと認めました」

オウム真理教による組織的なテロであるとする見解を発表し、14ページに及ぶ捜査結果をホームページ上で公開したのだ。

これに対し、オウム真理教から名前を変えた「アレフ」は、「確たる証拠もなく、教団による組織的犯行と結論付けていて、極めて不公正」などとして、ホームページからの削除を要請。

また「捜査結果を公表したのは名誉毀損にあたる」などとして、東京都と当時の警視総監に対し損害賠償などを求める裁判を起こし、東京都がアレフに対し100万円の支払いを命じる判決が確定した。

「長官を撃った」と自白した別の男

一方、自ら「長官を撃った」と事件への関与を雑誌などに話していた男がいた。

現金輸送車の襲撃事件で岐阜刑務所に服役中だった、オウム真理教とは無関係の中村泰(なかむら・ひろし)元受刑者だ。

中村泰元受刑者
中村泰元受刑者

FNNの取材に対しても、自らが撃ったと話した中村元受刑者に対して、警視庁は何度も事情聴取を行っていたが、「供述内容に実際の犯行状況と一致しない内容が多数認められる」として、捜査を打ち切っていた。

2010年10月、長官銃撃事件はすでに刑事事件としての時効は成立していたが、中村元受刑者は事件後に海外渡航していた期間があり、時効が延長されていた。そのため、都内の弁護士が受刑者について、殺人未遂容疑で東京地検に告発状を提出し受理された。

中村元受刑者は、凶器となった拳銃や弾丸の入手の経緯や、事件直前に現場を下見した際の状況、犯行当日の逃走経路などを供述。

しかし東京地検は「自白はしているが供述の信用性に疑いがある」などとして、嫌疑不十分で不起訴処分とした。中村元受刑者は、2024年5月に、都内の医療刑務所で死亡。94歳だった。

犯人の行方は…

2011年、警視庁は発生当時の捜査員や捜査幹部、歴代の公安部幹部ら、約100人から聞き取りを行うなどしてまとめられた、事件捜査に関する検証結果を公表した。

多くの捜査員が連日聞き込みを続けたが… 1995年
多くの捜査員が連日聞き込みを続けたが… 1995年

この中で、警視庁は捜査の反省点として、「聞き込みなど初動捜査の不備」「犯行を告白した元警察官の供述に対する裏付け捜査の遅れ」「科学捜査の不足」の3点を挙げている。

また、検証の過程で元巡査長の存在自体が隠されていたことについて、刑事部幹部から「おかしいのではないか」との声も挙がったという。

日本の治安を守る警察の“最高責任者”警察庁長官が銃撃されるという、日本を揺るがした事件。

実行役は特定されず、真相は今も闇に包まれたままだ。

FNNプライムオンラインでは、『【秘録】警察庁長官銃撃事件』の連載を開始する。
特設ページは、https://www.fnn.jp/list/feature/mikaiketsu-001 こちらから。

1月1日18時公開予定『「私が長官をお守りできなかった」時効直前の告白…警察庁長官を撃ったのは誰なのか?数千ページの捜査資料に刻まれた捜査員の苦闘』

1月2日18時公開予定『警察最高幹部が見せた長官銃撃事件“容疑者”の写真「敗軍の将、兵を語らず」未解決事件を15年追った男が残した言葉 』

1月3日18時公開予定『警察庁長官銃撃犯を追った“極左ハンター”未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」の10日後に轟いた4発の銃声』

1月4日18時公開予定『空前絶後の捜査本部…140名の捜査員が追った長官銃撃事件のホシ 地取り捜査で浮上した不審者情報』

1月5日18時公開予定『「まるでフランス映画のような…」警察庁長官を撃った男を追え 空前絶後の巨大捜査本部があぶり出した“175センチくらいの男”』

プライムオンライン編集部
プライムオンライン編集部

FNNプライムオンラインのオリジナル取材班が、ネットで話題になっている事象や気になる社会問題を独自の視点をまじえて取材しています。