オウム真理教による地下鉄サリン事件から10日後の1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った。
事件発生から1年、教団幹部の井上嘉浩元死刑囚は「長官が撃たれたという情報は協力者である警視庁本富士警察署のX巡査長から電話を貰い知りました」と証言。
捜査本部が激震に見舞われる中、後に警視庁公安部公安一課長となる栢木國廣と同僚の石室紀男警部(仮名)ら捜査員が、X巡査長の取り調べを開始した。
事件発生から間もなく30年。
入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、当時の捜査員が何を考え何を追っていたのか、そして「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。
(前話『警視庁巡査長「私自身がオウム」長官銃撃事件への関与に迫る捜査員との攻防を記した供述調書「裏付け捜査行うな」異様なホテル取り調べ』はこちらから)
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「そんなことを信者に言っちゃいけないんだ」
ホテルでX巡査長の聴取を始めてから4日目となる4月24日、教祖・麻原の初公判が行われ、テレビ各局では特番が朝から放送される。
多くのリポーターが入れ代わり立ち代わり競うように東京地裁前から中継し続けていたが、X巡査長と石室はベッドに寝そべって、その様子を見ていた。
ある女性リポーターが公判で麻原が話した意見陳述の一言一句を紹介した時である。

「私は逮捕される前も逮捕された後も、1つの心の状態でいました。
それは全ての魂に絶対の真理によってのみ得ることができる絶対の自由、絶対の幸福、絶対の歓喜を得て頂きたい。
今の私の心境はこれら3つの実践によって私の身の上に生じるいかなる不自由、不幸、苦しみに対して一切頓着しない心、つまりウベクシャー、『聖無頓着』の意識だ。
これ以上のことをここでお話するつもりはありません。以上です」
女性リポーターが麻原の法廷での言葉を、その言葉通りに紹介した途端、Xはムクっと起き上がり、「あっ、そんなことを信者に言っちゃいけないんだ」と叫んだ。
怒ったかのように叫んだ後は我を忘れて何やら「尊師の言葉を信者に伝えてはいけない。元に戻ってしまう」などと意味不明なことをブツブツと言い出した。

「高速道路の下を走っていたら…サイレンが鳴っていた…やはり…タクシーに乗った方が…」わけの分からない言葉を続けている。
石室が「どうした?!何が言いたい!もっと話せ!言いたいことを話せ!!」と促すと、Xははっと我に返って押し黙ってしまった。