【国際政治学者・中山俊宏さん 55歳】5月1日死去

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報道番組などで、アメリカ政治や外交について解説していた慶応大学教授の中山俊宏さんが5月1日亡くなった、55歳だった。

中山さんは、青山学院大学大学院の博士課程を修了後、2014年から慶応大学総合政策学部の教授を務め、アメリカ政治や外交の専門家として、数多くのテレビ番組に出演し、解説をしていた。

慶応大学によると、中山さんは、5月1日の夜に、くも膜下出血で亡くなり、葬儀は近親者のみで執り行われたという。

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【俳優・渡辺裕之さん  66歳」5月3日死去

テレビドラマやCMなどで活躍した、俳優の渡辺裕之さんが5月3日亡くなった。66歳だった。

自宅のトレーニングルームで倒れていたところを、家族が見つけたという。

日に焼けた精悍な顔立ちと、鍛え上げた肉体美で知られる、俳優の渡辺裕之さん。ブレークのきっかけとなったのは、ドラマチックな展開で社会現象となった「愛の嵐」など、昼ドラでの熱演だった。栄養ドリンクのCMで見せた肉体美も話題となった。

渡辺さんは、1993年に女優の原日出子さんと結婚。2021年の年末にも、そろってイベントに出席するなど、芸能界きってのおしどり夫婦として知られていた。

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【芸人・ダチョウ俱楽部・上島竜兵さん 61歳】5月11日死去

ダチョウ倶楽部のメンバーでお笑い芸人の上島竜兵さん(61)が5月11日、自宅で死亡した。61歳だった。

上島さんは、1985年に結成されたダチョウ倶楽部の一員で、体を張っていじられるリアクション芸で一世を風靡した。

トレードマークであるハンチング帽をたたきつけて「くるりんぱ」と言ってかぶり直すギャグ、熱湯風呂、裸芸、キス芸などを持ちネタにしていた。

ダチョウ倶楽部の代表的なギャグ「聞いてないよォ」は、1993年の新語・流行語大賞・大衆語部門の銀賞を受賞した。

また20代の頃、個性派俳優を目指していたこともあり、ドラマ「怪物くん」や映画「上島ジェーン」など数々の作品に出演するなど俳優としても活躍していた。

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【政治家 元首相・安倍晋三さん 67歳】7月8日死去

安倍晋三元首相が7月8日、遊説先の奈良県で元海上自衛官の男に銃撃され、死亡した。67歳だった。

安倍氏は、祖父が岸信介元首相、父親は安倍晋太郎元外相、大叔父は佐藤栄作元首相という政治家一族に生まれた。1987年には当時の森永製菓社長の長女だった昭恵夫人と結婚した。

1993年に衆議院議員に初当選。急死した父の地盤を引き継ぎ、国会議員として第一歩を踏み出した。2003年には49歳という若さで自民党幹事長に就任。閣僚も党の要職も未経験の中、異例のサプライズ人事だった。2005年、第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任。2006年、小泉首相の任期満了に伴う総裁選で、麻生太郎氏、谷垣禎一氏を大差で破って自民党総裁に選出された。当時まだ52歳、戦後最年少の内閣総理大臣だった。

しかし、2007年の参院選で自民党は大敗。健康問題を理由に首相を辞任した。

2012年12月、安倍氏は再び総理大臣に任命され、第2次安倍政権が発足した。コロナ禍の2020年8月に辞任を表明。7年8カ月にわたった長期政権を終えることになったが、総理大臣としての連続在職日数は憲政史上最長の歴代1位だった。

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【ファッションデザイナー・三宅一生さん  84歳」8月5日死去

世界的に活躍したファッションデザイナーの三宅一生さんが8月5日、肝細胞がんのため亡くなった。84歳だった。

三宅一生さんは広島県生まれで、1973年にパリ・コレクションに初めて参加し、ファッションの既成概念を破る、斬新な服づくりで高く評価された。

2005年には、高松宮殿下記念世界文化賞の彫刻部門を受賞したほか、2010年には文化勲章を受章した。

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【ファッションデザイナー・森英恵さん 96歳】8月11日死去

世界的ファッションデザイナーとして知られる森英恵さんが8月11日、老衰のため、自宅で亡くなった。96歳だった。

森さんは、日本を代表するデザイナーとして、パリ・コレクションなどで活躍し、チョウをあしらったデザインや、着物の伝統を取り入れたドレスで高い評価を受けた。

バルセロナオリンピック日本選手団のユニホームなども手がけたほか、1993年、当時の皇太子さまご成婚の際には、雅子さまのローブデコルテを担当した。

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【京セラ名誉会長・稲盛和夫さん 90歳】8月24日死去

日本を代表する企業経営者、京セラの名誉会長(90)が、老衰のため8月24日に亡くなった。90歳だった。

稲盛氏は1959年京セラを設立。1代で通信、情報機器の世界的企業に育て上げた。その経営手腕は2010年に破綻したJALの再建でも。当時の民主党政権からJALの会長就任を依頼されると、不採算路線の廃止やリストラなどの改革により、JALをV字回復させ、わずか3年足らずで再上場に導いた。

稲盛氏が大きな功績を残したもう1つの分野が携帯電話などのモバイル通信。国の独占事業だった通信の自由化方針を受け、稲盛氏は1984年第二電電を設立。その後、KDDなどとの合併を経て、現在のKDDIを設立。「au」のブランドで携帯電話事業に競争を促す原動力となった。

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【英女王・エリザベス2世 96歳】9月8日死去

イギリスのエリザベス女王が9月8日亡くなった。96歳だった。

イギリス王室は、エリザベス女王が8日、静養先のスコットランドのバルモラル城で亡くなったと発表した。女王の死去を受け、長男チャールズ皇太子が新国王に即位した。

女王は1952年に即位、歴代最長となる70年にわたって在位し、イギリスの統合を象徴する存在として国民に長く愛されてきた。

女王は2021年から、歩行の際につえを使って歩くようになったほか、最近は公式行事を欠席するなど体調の悪化が報じられていた。2022年6月に行われた在位70年、プラチナ・ジュビリーの祝賀行事では、パレードに参加することはなかったが、終了後にはバルコニーに家族とともに姿を現し、人々の祝福に応えていた。

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【映画監督・ジャン=リュック・ゴダールさん 91歳】9月13日死去

フランス映画の巨匠、ジャン=リュック・ゴダール監督が9月13日、死去した。91歳だった。

1930年にパリで生まれたゴダール監督は、1959年に「勝手にしやがれ」で、「ヌーベルバーグ」と呼ばれる映画革新運動の中心的な存在となり、即興演出など新たな手法で世界の映画界に革命を起こした。

ゴダール監督は、2002年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。

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ゴダール監督が死去 映画「勝手にしやがれ」

【芸能リポーター・前田忠明さん 81歳】9月28日死去

情報番組で活躍した芸能リポーター・前田忠明さんが9月28日、くも膜下出血で亡くなった。81歳だった。

前田さんは28日午後2時20分頃、自宅マンションで転倒。頭を強打して都内の病院に救急搬送されたが、同日午後4時半頃、息を引き取った。

前田さんは1970年に週刊誌「女性自身」の記者となり、主に芸能を担当。その経験を生かし、1980年にフジテレビ専属の芸能リポーターに転身。「おはよう!ナイスデイ」「とくダネ!」などに出演。40年以上芸能リポーターとして活躍した前田さんは、「前忠(まえちゅう)」「忠さん」の愛称で親しまれた。

前田さんが女優・大原麗子さんの人生を綴った著書「大原麗子 炎のように」は2013年にドラマ化もされた。

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【落語家・六代目三遊亭円楽さん 72歳】9月30日死去

毒の効いた笑いで親しまれた落語家の三遊亭円楽さんが9月30日、肺がんのため亡くなった。72歳だった。

六代目円楽さんは、大学在学中に五代目三遊亭圓楽に入門。三遊亭楽太郎として27歳の若さで「笑点」の大喜利メンバーに抜擢された。その後も活躍の場を広げ、2010年には六代目三遊亭円楽を襲名し、落語界を牽引してきた。

円楽さんは、肺がんの再発など、がんとの闘いに加え、脳梗塞を患い、治療にあたっていたが、8月には約7カ月ぶりに高座に復帰し、元気な姿を見せていた。その際は「ようやくここまで帰ってきました。みっともなくてもいいから死ぬまでやらしてもらう」と涙ながらに挨拶をしていた。

しかし8月下旬、軽度の肺炎のため入院し、肺がんの治療を再開していた矢先のことだったという。

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プライムオンライン編集部
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