政界のサラブレッド 華麗な経歴

1954年生まれ、67歳の安倍晋三元首相。7月8日、遊説先の奈良県で元海上自衛官の男に銃撃され、死亡した。

この記事の画像(22枚)

1957年に首相に就任した祖父、岸信介氏に抱かれる安倍晋三氏(当時2歳)の古い白黒写真が残っている。

父親は外務大臣や自民党幹事長も努めた安倍晋太郎氏。

大叔父には佐藤栄作元首相がいる政治家一族に生まれた。

1984年、当時外務大臣に就任していた父の秘書官を努める若き安倍晋三元首相の映像も残っている。

安倍晋三氏(1984年 父の秘書官時代)
私から手を上げて秘書官をやらせてくれと言ったわけではないのですが、やはり父も外務大臣ということで、自ら選挙区関係をですね、テイクケアするのは難しいということで。それで助けてくれないか、手伝ってくれないかということで。私も小さいときから政治には興味がありましたので、それならやりましょうということで秘書官になったわけです

1987年には当時の森永製菓社長の長女だった昭恵夫人と結婚した。

1993年に衆議院議員に初当選。急死した父の地盤を引き継ぎ、国会議員として第一歩を踏み出した。

2002年9月、小泉純一郎元首相が北朝鮮を電撃訪問し行われた日朝首脳会談には、官房副長官として同席。北朝鮮による日本人拉致問題解決に積極的に取り組んできた。

安倍晋三氏(2002年9月 番組取材に)
非常に重い会談だった。(首脳会談の直前に)8人の方が帰国を果たせないと最初に分かりましたからね。

2003年には49歳という若さで自民党幹事長に就任。閣僚も党の要職も未経験の中、異例のサプライズ人事だった。

2005年、第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任した。

2006年、小泉首相の任期満了に伴う総裁選で、麻生太郎氏、谷垣禎一氏を大差で破って自民党総裁に選出された。当時まだ52歳、戦後最年少の内閣総理大臣が誕生した。

新内閣発足時の内閣支持率は60%以上と、高い国民の期待を背負っていた。

安倍晋三首相(当時)の演説(2006年)
私が目指すこの国の形は、世界に開かれた「美しい国」日本であります

参院選大敗…病気を理由に1度目の首相辞任

しかし、2007年の参院選で自民党は大敗。それでも首相の続投を宣言していた。

安倍晋三首相(当時)の演説(2007年9月10日)
ここまで厳しい民意が示されたのだから、退陣すべきとのご意見があることは十分承知しております。この改革を止めてはならない。私はこの一心で続投を決意しました

ところが、この演説からわずか2日後、突然退陣を発表した。

安倍晋三首相(当時)の演説(2007年9月12日)
本日、総理の職を辞するべきと決意を致しました

その後、辞任の理由を病気による健康問題と説明した。

安倍晋三氏の会見(2007年9月)
自らの意思を貫くための基礎となる体力に限界を感じるに至りました。もはや、このままでは総理としての責任を全うし続けることはできないと判断し、辞任表明に至りました

2度目の首相任命 アベノミクスを掲げ経済再生へ

2012年12月、安倍氏は再び総理大臣に任命され、第2次安倍政権が発足した。

安倍晋三首相(当時)の演説(2012年)
私は1年間で終わらざるを得なかった政権の担当者として、大きな責任を感じています。混乱と停滞に終止符を打つためにも、安定的な政権運営を行っていくことが我々の使命であろうと

この時、安倍元首相が真っ先に取り組んだのが経済再生だった。その合い言葉となったのが、アベノミクスだった。

安倍晋三首相(当時)の米証券取引所での演説(2013年9月)
バイ・マイ・アベノミクス!(アベノミクスが買いだ!)

自ら任命した日銀の黒田総裁と共に2%の物価上昇目標を掲げ、金融緩和と財政出動を進めた。株価は大きく上昇し、日本経済に一定の景気回復をもたらした。

さらに経済再生の起爆剤にと力を入れたのが、2021年夏に開催された東京オリンピック・パラリンピックの招致だった。

また外交面では強固な日米同盟を掲げ、活発な首脳外交を展開。

2016年のG7伊勢志摩サミットでは経済危機の克服に向けた協調を訴えた。

2017年11月、来日したアメリカのトランプ前大統領とは一緒にゴルフをするなど、日米首脳間の緊密さをアピールした。

米・トランプ前大統領(2017年)
ありがとう。素晴らしい時間を過ごせたよ。皆さんは素晴らしい首相を選んだね。僕もきっと彼に投票するよ

そして日米同盟強化のひとつとして、2015年には激しい反対デモが行われる中、集団的自衛権の限定的な行使を認める安全保障関連法を成立させた。

長期政権の歪みやコロナ禍

一方で、長期政権による歪みが指摘されることも。

安倍晋三元首相(2017年8月)
森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部新設、防衛省の日報問題など大きな不信を招く結果となりました。深く反省し、国民の皆さまにおわび申し上げたいと思います

森友学園の問題などで、安倍元首相や昭恵夫人と関係のある人物に便宜を図ったのではないかと追及を受け、官僚による忖度(そんたく)も指摘された。

2019年には天皇陛下の退位と即位、新元号令和への改元を政府として執り行った。

そうした中で2020年、世界的に新型コロナウイルスが流行。その対応にも追われた。

安倍晋三元首相(2020年5月)
感染拡大を予防しながら、同時に社会経済活動を本格的に回復させる。新たな日常をつくりあげるという、極めて困難なチャレンジに踏み出します

総額260億円の国費を投じた「アベノマスク」には、野党から「税金の無駄遣い」と激しい批判も受けた。

2020年8月に辞任を表明。7年8カ月にわたった長期政権を終えることになったが、総理大臣としての連続在職日数は憲政史上最長の歴代1位だった。

首相辞任以降は菅政権、岸田政権で政界のキーパーソンとして精力的に政治活動をしていた矢先に銃弾に倒れた。

(イット! 7月8日放送より)