毒の効いた笑いで親しまれた、落語家の三遊亭円楽さん。
8月に高座に復帰したものの今週になって容体が急変し、9月30日に亡くなったことが分かった。
72歳だった。

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六代目円楽さんは、大学在学中に五代目三遊亭圓楽に入門。
三遊亭楽太郎として27歳の若さで「笑点」の大喜利メンバーに抜擢された。

31歳で真打ちに昇進した当時の楽太郎さんは…


三遊亭楽太郎さん(31歳当時):
これから一生懸命やらなくちゃいけないな、そういう気持ちです。本当にあの、何かとご迷惑かけるかもしれませんけど…よろしくお願いします。一生懸命やります。


その後も活躍の場を広げ、2010年には六代目三遊亭円楽を襲名し、落語界を牽引してきた。


三遊亭楽太郎さん(2008年当時):
師匠が六代目をお前にやるから、で、好きな時に好きなようにやんなさいって、今ふっと思い出したんですが、真打ちになる時もそうだった気がするんですよ。
「来年お前真打ちだよ」「師匠いつですか?」「いつだっていいんだ」これでおしまいでしたからね。

代々ある中で円楽という名前、五代目と六代目が良かったね。続けて良かったってあんまりないんですね。これは言いにくいんですが。続けて良かったと言われたら僕勝ちだと思ってますから。続けて良かったと言われる“円楽”にしたいと思ってます。

病との戦い続く中…「死ぬまでやらしてもらう」

そんな円楽さんだが、ここ数年は病との闘いが続いていた。
2018年には初期の肺がんであることを公表し、翌年には肺がんが再発。
さらに脳腫瘍も患い、入院もしていた。

2022年には脳梗塞を発症し、入院。
当時、所属事務所は「命には別状なく、意識もはっきりしている」と発表していた。


2022年8月11日には約7カ月ぶりに高座に復帰し、元気な姿を見せていた。

三遊亭円楽さん:
ようやくここまで帰ってきました。ちょっと感極まってあやしくなるかもしれませんが、ご勘弁願います。
まだまだこれから先長丁場ですが、歩いて出てきて、喋って、歩いて帰れるようになりました。
みっともなくてもいいから死ぬまでやらしてもらう。

冒頭、涙ながらに挨拶をした円楽さん。
入院前と比べると少しほっそりとした様子を見せていた。
治療中に10kgほど痩せ、麻痺も残っているものの、体重はほぼ元に戻っていたという。


三遊亭円楽さん:
ICU、集中治療室から3度目の帰還ですよ。なんでこんなことになるんだろうって。みんな歌丸が悪いんでね。

円楽さんはこの時、自身が出演できていない笑点についても話していた。


三遊亭円楽さん:
見てて面白くなかったのは笑点。看護師さんみんな言った。早く出てくださいよ、師匠がいないとつまらないって。世間は分かってんだよ。わかんねぇのは周りだけ。やっぱり、そういうところにも俺の必要性があるんだね。

みなさんどうせ円楽が今どんな状態だかテレビじゃ分からないから生見に行こう、それだけでしょ?まだ生きてるかしら。


15分の予定だった高座は大幅に伸び、30分近く笑いを届けた円楽さん。

三遊亭円楽さん:
これも、落語聞きに来たと思うと腹立つから、見舞いに来たと思えって。見舞いに来たと思えば、入場料、見舞金にしやすくなる。


高座の復帰を果たし、活動に意欲を見せていた円楽さん。
しかし、それから約1カ月半で、肺がんのため帰らぬ人となった。

事務所は「8月下旬の入院以降、肺炎は軽快し、肺がんの治療を再開した矢先のことでした。
遺族、関係者一同、大変急なことで、今はまだ悲しみに向き合うこともできず、対応に追われております」とコメントを発表。

葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を催す予定だという。

(「イット!」9月30日放送分より)