さらにその男がほどなくして「自分が警察庁長官を撃った」と言い出した。この事実が明るみになれば、日本警察の信用は完全に地に落ちる。

オウム真理教の本拠地・上九一色村の教団施設
オウム真理教の本拠地・上九一色村の教団施設

全国警察を挙げてオウム真理教の壊滅に向けた捜査を強力に推進していただけに、警視庁の一巡査長の存在だけで全国30万の警察組織に寄せられる信頼を壊されることは、耐えがたいものだったに違いない。

警視総監がXの秘匿を厳命

「Xは頭がおかしくなったのではないか」そういう疑念もわく中で、井上警視総監は、この男が本当に何をやったのか全容解明がなされるまで外部に明かさないよう警視庁幹部に厳命したと言われている。

井上幸彦警視総監(当時)
井上幸彦警視総監(当時)

警視庁を指導監督する上級庁警察庁の幹部にはもちろん、事件の被害者であり全国警察の最高指揮官たる国松長官にさえ明かすことを禁じたという。

ある警視庁幹部は、事案の検討などで警察庁幹部と会う度にXについて隠しておく罪悪感に苛まれ、喉元までXのことが出かかっては何度も言葉を飲み込み、井上総監からの厳命を守ったそうだ。

警視庁はXが事件に関与しているのであれば、犯行の全容を明らかにしたうえで世間に公表したかったようである。しかし隠蔽の意図がなかったかと問えば、ゼロだったと言えるだろうか。

オウム真理教が社会の最大不安だった当時の情勢から言って、Xが自ら証言した違法と疑われる行為は、「オウム信者の警察官による非違行為」というだけで充分公表に値する事柄だったはずだ。警視庁に隠蔽の意図がなかったとしても、少なくとも不作為により隠蔽状態を続けたとの謗りは免れない。

全容解明を妨げた「裏付け捜査の禁止」

加えて井上総監以下警視庁幹部が栢木や石室(仮名)らXの取り調べに関わった極秘チームに対し、供述の裏付け捜査をほとんど許さなかったことは決定的だった。

 通常、取り調べで出た供述は即座に裏付け捜査が行われる。容疑者が正しいことを言っているか確認し、証拠を積み上げ犯罪を立証していかなければならないからだ。

長官銃撃事件の発生現場 1995年3月
長官銃撃事件の発生現場 1995年3月

刑事手続きは逮捕から48時間以内の検察官送致、勾留期限、公訴時効、当然全てが守るべき何らかの期限の中で行われている。
その一環である取り調べも、時間的制約があるからこそ真相解明に向けた取調官の執念は燃え、容疑者に人の誠を説く言葉にも熱を帯び、その熱き薫陶に魂を揺さぶられ容疑者が罪に向き合おうと改心していくものではないか。

限られた時の中で、裏付け捜査が急ピッチで進められ、そこで判明した事実から容疑者の嘘やあいまいな供述は即座に質されて行かなければ、取調官が容疑者と信頼関係を作り自供に追い込むことは到底できない。 容疑者から逃げられてしまうだろう。

長官銃撃事件には大量の捜査員が導入されてきた
長官銃撃事件には大量の捜査員が導入されてきた

Xの存在が外部に気付かれる恐れがあったとはいえ、真実究明において核となる裏付け捜査を充分に実施させなかったことは、全容解明に向けた捜査を阻害したとの誹りを免れない。

実際に当時の警視庁幹部は組織的にそうした方針を執った。しかも身内の警察官に対してである。これは警察史上類を見ない組織的隠蔽の1つと言わざるを得ないのである。

警察庁にも秘した理由

 本来、警視庁は警察庁の監督下にある。警察の屋台骨に関わるようなX案件は、警視庁といえども捜査の進捗状況を警察庁に適宜報告し、時に指示を仰ぎながら取り調べを進めていくべきものだ。なぜ上級庁警察庁を無視する形で、警視庁が独断でXへの中途半端な捜査を続けることが許されたのか。