逮捕状発布
栢木が金子の逮捕状請求のため東京簡易裁判所を訪れたのは、9月に入っていた。
この件は検事からも起訴が難しいと言われていたので、裁判官から追加の質問が来るものと思って待合室で待っていたという。
裁判所の事務官から「逮捕許可状が発布されました」と言われた時、栢木は「えっ」と声を上げて驚いてしまった。
事務官から渡された許可状を確認すると、犯罪事実に追加があることがわかった。

『被疑者はオウム真理教の出家信者であるが、平成7年3月30日午前9時40分頃、東京都港区六本木1丁目1番1号、全国朝日放送株式会社(テレビ朝日)交換台に某所から電話をかけ、その内容が警視総監ら警察幹部に伝わるものであることを知悉しながら、同日午前8時30分ころ発生した警察庁長官国松孝次に対する殺人未遂事件の脅威を示しつつ、「オウムの捜査をやめろ。そうしないと国松孝次に続き、井上、大森もケガしますからね」と申し向け、井上幸彦警視総監が指揮する目黒公証人役場事務長拉致事件、地下鉄サリン事件等の捜査をやめないときは同人らの生命、身体、財産等にどのような危害を加えるかもしれない旨告知して脅迫し、もって公務員をしてオウム真理教に対する事件捜査等をさせないために脅迫したものである。』

裁判官が追加したのは、「その内容が警視総監ら警察幹部に伝わるものであることを知悉しながら」という部分だった。
「この脅迫電話が警視総監なり警察幹部に確実に伝わることを知っていた」のかどうか、この部分を裏付ける捜査が必要になったということだ。
当時を知る捜査員は「裁判官自らつけ加えたこの一文は、長官銃撃事件がオウムの犯行の可能性があるということを追認してくれたという思いが沸いた」としている。
黙秘する容疑者
この逮捕状をもって9月27日、南千住署特別捜査本部は金子牧男を職務強要容疑で逮捕する。今後の捜査が進展するかどうかは金子が自供するかにかかっていた。
金子の取調を担当したのは公安一課の根本警部補(仮名)である。
根本の取り調べに金子は終始無言を貫いた。勾留期間20日間、一言も発しなかった。
普通の被疑者は雑談に応じたり、「トイレに行きたい」などと、何らか声を発するものだが一声も出さなかったのである。金子は自分の声を録音され鑑定に回されることを嫌がった。
結局10月18日、金子は証拠不十分などの理由により処分保留で釈放された。金子が黙秘し供述を拒んだことから十分な裏付けができなかった。
「金子を起訴するには、長官銃撃事件をオウムの犯行であると立証しなくてはならない。テレビ朝日への電話の声の主が金子だと証明できたとしても、この時点では長官事件そのものがオウムの誰の犯行か、具体的に立証することは困難だった。だからあの時点での金子の公判維持は不可能だっただろう」
ある元捜査員は、こう往事に悔しさを滲ませた。

そもそも矢野はなぜ金子の存在を簡単に口にしたのか。特捜本部を複雑怪奇な世界へと引き込む罠だったのかもしれない。
金子の釈放とは裏腹に、「金子の声だ」と明かした矢野は、10月12日、建造物侵入の罪で懲役1年の実刑判決が言い渡され刑が確定している。
【秘録】警察庁長官銃撃事件12に続く
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。