沖縄戦の特攻作戦へ出撃 家族への最後のはがき

「父母上 さようなら」
太平洋戦争末期、18歳の青年が故郷の家族へ送った1枚のはがき。
はがきを書いたのは、宮城県大崎市出身の相花信夫(享年18)さん。
これは、特攻隊のパイロットだった信夫さんが出撃前に家族へ送ったものだ。
信夫少尉の甥 相花俊信さん:
これが信夫の絶筆になった、ということで、このはがきが一番、信夫を思うのに一番感じるところですね。
そう語るのは、宮城県大崎市の相花俊信さん。
信夫さんにとって俊信さんは父の弟、叔父にあたる。信夫さんが戦死した2年後に生まれた俊信さん。
遺された葉書を通して、信夫さんに思いを寄せる。

太平洋戦争末期、旧日本軍は戦闘機ごと敵艦に体当たりする「特攻作戦」を決行。1945年3月に始まった沖縄戦でも特攻作戦が行われ、多数の若者が命を落とした。
知覧特攻平和会館によると、沖縄戦では1036人の陸軍特攻隊員が戦死。
特攻は重さ250キロの爆弾を積んだ戦闘機に乗り、敵の艦隊に体当たりする「死」が絶対条件の捨て身の作戦。特攻が決まった青年たちは、故郷に残す家族や恋人などに遺書を書いていた。信夫さんもそのひとりだ。
「父母上 さようなら」
葉書を書いた後、故郷・宮城から遠く離れた鹿児島の知覧特攻基地から沖縄に飛び立っていった。
涙ににじむ 母に残した後悔

信夫さんは葉書だけではなく、遺書や当時の生活や思いを記した手記も遺していた。
遺書には、特攻への強い覚悟の言葉が並び、自分を奮い立たせるかのようにも見える。
同時に、母・アキさんへ残した最期の言葉には後悔の念がにじむ。
母上 六歳の時より育て下されし生母以上の母上に対し「お母さん」と呼ばなかつた信夫
母上は如何程淋しかつたでせう。呼ぼうと幾度も思ひましたが面と向かつては恥かしいやうで言へませんでした。今こそ大聲で以て呼ばして頂きます。「お母さん」と

母・アキさんは信夫さんが6歳の時に父が再婚して継母となった人だった。信夫さんは、アキさんを最期まで「お母さん」と呼べなかったことを悔いていた。
「お母さん」と面と向かって呼べなかったのには、もう一つ理由があった。
兄、俊一さんが、信夫さんに対して継母であるアキさんを「お母さんと呼ぶな」と命じたという。8歳年上の俊一さんは当時思春期。継母に対して複雑な気持ちを持つのも無理はなかった。
生きて帰ることが許されない特攻隊のパイロット。信夫さんは出撃前に故郷でのつかの間の休息を許された。しかし、死を覚悟しながらも、最後まで兄の言いつけを守った。
その思いは、手記にも残されていた。

遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺、幾度か思ひ切って呼ばんとしたが何と意志薄弱な俺だつたらう
母上お許し下さい。さぞ淋しかつたでせう。今こそ大聲で呼ばして頂きます。お母さん、お母さんお母さんと
滲んだ紙には小さな穴が開いている。
信夫少尉の甥 相花俊信さん:
信夫の涙の跡だと、アキさんが言っていた。母上とかお母さんとかの字があるところに必ず赤ペンが記載されているんですよ
信夫さんの遺品を大切に保管していたというアキさん。
アキさんのことを想って書かれたところには、赤鉛筆で線が引かれ何度も読み返した跡が残されていた。
信夫さんの兄、俊一さんも悔いを抱え続けていた。
信夫少尉の甥 相花俊信さん:
兄(俊一)のほうは、酒なんかで酔っぱらうと『俺が悪かったんだなあ』と、信夫に対して、アキさんをお母さんと呼ぶなと言ったのも悪かったなということは、よく酒飲んで言ってました
自身も出兵していた俊一さん。戦争の経験を口にすることは多くなかったが、信夫さんへの後悔をこぼすことがあったという。
先に飛び立った戦友への思い

信夫さんが遺した手記や遺書からは、出撃への強い覚悟が伺える。
信夫さんは1945年4月に一旦出撃を命じられたが、戦闘機の不調で1人だけ飛び立てなかったことも書き残していた。
此の俺だけ不甲斐なく生き延びた。戦友よ許せ必ず二日と出でずして俺も後を追ふ 待つてゐて呉れ
信夫さんはこの一週間後の1945年5月4日に出撃し、戦死した。
戦争は18歳の青年に強烈な「死への覚悟」を植えつけていた。
若い命を兵器として扱う特攻 残した遺書

宮城県石巻市の佐々木慶一郎さんは戦争に関する史料を4千点以上集め私設資料館として公開している。信夫さんが残した遺書の複製を展示し、過ちを繰り返してはいけないと訴える。
石巻市私設平和資料館 佐々木慶一郎さん:
同じ過ちは二度と繰り返してはいけないと、国と国との問題解決に戦争という手段だけはどんなことがあってもとってはいけない。私はそれを話していきたいと思っています。

前途ある青年の命を一つの兵器として扱う特攻。18歳の青年が端正な文字でしたためた遺書は最期まで家族を思う人間らしい気持ちであふれていた。
北海道の叔父上には遂ひに最後迄御禮の便り書くことなく征きます 父上からお傳へ下さい
桑折の祖母上さぞ歎くことでせう 御身体を大切にして下さるやう祈つてゐますと傳へて下さい
父母上 では征きます
仙台放送