マイページ
「教え子を戦場に送らない」終戦直前の小さな町で起きた“小牛田空襲” 元教師の誓いと教え子の思い【語り継ぐ戦争の記憶】|FNNプライムオンライン
戦後80年 いま、平和ですか

「教え子を戦場に送らない」終戦直前の小さな町で起きた“小牛田空襲” 元教師の誓いと教え子の思い【語り継ぐ戦争の記憶】

Google ニュース プリファードソース

語り継ぐ戦争の記憶

終戦直前の知られざる空襲

終戦の直前の1945年8月9日、宮城県美里町小牛田でアメリカ軍の空襲によって20人が亡くなった。「小牛田空襲」と呼ばれているが、あまり広く知られていない。

この「小牛田空襲」を経験した人と、それを語り継ぐ人がいる。

佐々木英壽さん
佐々木英壽さん
この記事の画像(9枚)

佐々木英壽さん:
東の空から20機くらいの編隊が、プロペラ機ですからごうごうごうごうと音を立てて飛んできたんですよね。

佐々木さんは、8月9日午前8時ごろ、自宅で西へ向かって飛んでいく飛行機の編隊を見つけた。当時13歳だった佐々木さんは日本軍の飛行機だと思い、見送ろうと家の屋根に上った。

佐々木さんが自身の体験をもとに描いた絵
佐々木さんが自身の体験をもとに描いた絵

佐々木英壽さん:
先頭の飛行機がクルっと反転して急降下して、飛行機から何か真っ赤などろどろとしたものが見えたんですよ。

飛行機は、アメリカ軍。「真っ赤なもの」は放たれた弾丸だった。機銃掃射と爆撃が始まった。
佐々木さんは慌てて屋根から降り、裏山の防空壕に入った。

防空壕の中で空襲をやり過ごし、難を逃れた佐々木さん。あまり長い時間ではなかったという。

音がやんで、防空壕の外に出た佐々木さんが見たものは、空襲がもたらした被害だった。

佐々木英壽さん:
向かい側の道路に、いっぱいに穴が開いて水道の鉄管から水が噴き出していたんですね。

西からやって来たアメリカの飛行機は佐々木さんの家の正面から小牛田駅周辺を攻撃した。小牛田駅構内の機関車や車両なども、機銃掃射で穴だらけになっていたという。

小牛田空襲と呼ばれているこの日の空襲で、20人以上が亡くなったと言われている。
佐々木さんの同級生家族も、逃げ込んだ防空壕が爆撃に遭って亡くなった。

“小さな”戦争体験の恐ろしさ

佐々木英壽さん:
私の体験した戦争というのは短い時間で狭い限定された場所での戦争なんだけれども、それでもとにかくもうめちゃくちゃって感じですね。非常に小さな体験ですけれど、やはり戦争の恐ろしさっていうのはやっぱり忘れられないですよね。

佐々木さんは終戦後、高校卒業と同時に小学校の先生として働き始め、家計を支えた。

佐々木さんの父は戦時中、満州に出稼ぎに行っていたが、帰国する前に病死。出稼ぎで貯金していた分のお金を受け取ることができず、若くして働くことになったのだ。

戦争体験というと、空襲などのエピソードが取り上げられがちだが、戦争があったことで人々の生活が困窮に陥ったということも伝えていかなければならない、と佐々木さんは話す。

教え子が開く企画展

小牛田駅構内で毎年開催されている、戦争と平和を考える企画展。佐々木さんがまとめた小牛田空襲の体験の手記が展示された。

佐々木さんの手記:
私は、教師のひとりとして、(中略)「教え子を再び戦場に送らない。」という思いを一層強くしています。

佐々木さんが当時拾ったという薬きょう
佐々木さんが当時拾ったという薬きょう

もうひとつ、佐々木さんが提供したのが、長さおよそ10センチの真鍮製の薬きょう。空襲でアメリカ軍が落としていったものだ。空襲の後、自宅の庭に落ちていたのを佐々木さんが保管していた。

沖田捷夫さん
沖田捷夫さん

展示会を主催した沖田捷夫さんは、佐々木さんの教え子のひとりだ。
沖田さんは、小牛田空襲があまり広く知られていないことに疑問を感じ、自ら40人以上の人から証言を集めて、展示会を開いている。

沖田捷夫さん:
ここに住んでいる子供たち、小牛田で80年前に20人も亡くなったんだという事実を、誰も教えない。資料もない。

アメリカ軍の資料などから、小牛田空襲は、東北地方の各地で8月9日と10日に相次いだ空襲の一つで、交通の要所だった小牛田駅を狙ったものだったということが分かっている。
もともと残っている資料が少ないため、その実態を知るには当時を知る人の証言が頼りだが、体験者は年々減っている。

沖田捷夫さん:
これまでに40人くらい接触したんですけれども、毎年何人かずつ、亡くなったり、施設に入ったり、会ってもお話できなかったり。証言してくれる人が減っているんですよね。

後世に伝えるのは知った人間の義務

沖田さんと佐々木さん
沖田さんと佐々木さん

戦争を体験した人から聞いた貴重な証言を後世に伝えることは、知った人間の義務だと思うと沖田さんは話す。

沖田捷夫さん:
当時を経験した人の話を聞いて、それを何らかの形で伝えることが一番力になると思うんですね。でもだんだんそういう人たちが少なくなっているから、知った私たちが、知らない人に伝えていくっていう義務があるんじゃないかと。

「教え子を戦場に送らない」と強く思う元教師の佐々木さんと、その思いと証言を受け取った教え子の沖田さん。世代を超えて、記憶を語り継いでいく。

仙台放送

仙台放送
仙台放送

宮城の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。

  • 1
  • 2
関連記事

語り継ぐ戦争の記憶

戦後80年 いま、平和ですかの他の記事
馬毛島基地工事が3年遅延、漁業制限も延長 防衛省が追加補償4億9000万円を提示 漁協組合員の3分の2超が同意
馬毛島基地工事が3年遅延、漁業制限も延長 防衛省が追加補償4億9000万円を提示 漁協組合員の3分の2超が同意
政治
戦後81年 “戦争の時代”へと突き進んだ過去 「ものを言わぬ」戦争遺跡が伝える記憶 訪れる人もいない山中に眠る巨大な遺構 【福岡発】
戦後81年 “戦争の時代”へと突き進んだ過去 「ものを言わぬ」戦争遺跡が伝える記憶 訪れる人もいない山中に眠る巨大な遺構 【福岡発】
都道府県
馬毛島自衛隊基地の工期大幅遅延 漁業制限を2031年まで延長、補償に約4.9億円 地元漁協に同意求める
馬毛島自衛隊基地の工期大幅遅延 漁業制限を2031年まで延長、補償に約4.9億円 地元漁協に同意求める
社会
戦死した父が家族に宛てた180通の手紙 生まれたばかりの息子に愛を込めて 一方で“黒塗り”が検閲の恐怖を物語る
戦死した父が家族に宛てた180通の手紙 生まれたばかりの息子に愛を込めて 一方で“黒塗り”が検閲の恐怖を物語る
社会
一覧ページへ
×