戦後、徳川家は早々に恭順の姿勢を見せ、四月半ばに江戸城を無血で開城した。いっぽう新政府は、幕末に勤皇派を取り締まってきた会津藩を朝敵と認定、征討することを決めた。

会津藩が謝罪しても、その方針は変わらなかった。そこで会津側でも抵抗することに決め、奥羽越(おううえつ)列藩同盟とともに新政府軍に抗戦した。

しかし7月下旬から次々と同盟側は新政府に降伏していき、ついに新政府軍が会津領に侵攻、8月23日に会津城下に入ってきた。

会津にいた妹・八重は…

八重は、黒髪をばっさりと切り捨て、弟の形見の服や刀を身につけ、白鉢巻きに白襷をかけ、元込式七連発のスペンサー銃を持ち、弾を百発装填したガンベルトを身体に巻き付けて、両親と覚馬の妻・うらと若松城へ入った。24歳の初秋であった。

妹の八重らが戦った鶴ヶ城(画像:イメージ)
妹の八重らが戦った鶴ヶ城(画像:イメージ)

八重は、次々と敵を狙撃していった。だが、多勢に無勢で、城は一月間、持ちこたえたものの、松平容保はついに降伏を決意、9月21日に藩士たちにその決定を伝え、22日、鶴ヶ城に大きな白旗を掲げさせた。

会津藩は領地を没収されたが、明治3年1月に再興が許された。が、28万石の大藩はたった3万石に削減され、領地として陸奥や蝦夷地の荒野をあてがわれた。

入植した藩士らは藩名を斗南(となみ)と改めて新地で生きようとしたが、貧困と飢えにさいなまれ、廃藩置県後、多くがその土地を離れていった。

『侍は「幕末・明治」をどう生きたのか』(扶桑社)

河合敦
歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ、『逆転した日本史』(扶桑社)、『戦国武将臨終図巻 生き様死に様プロファイル』(徳間書店)、『1話3分7日でシン常識人 オモシロ日本史』(JTBパブリッシング)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017年に上梓。

河合敦
河合敦

歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。1965年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ、『逆転した日本史』(扶桑社)、『戦国武将臨終図巻 生き様死に様プロファイル』(徳間書店)、『1話3分7日でシン常識人 オモシロ日本史』(JTBパブリッシング)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017年に上梓。