あなたの周りにも「残念な人…」と思ってしまう人がいるかもしれない。しかし、聖書の中にも似たようなエピソードがあることから、約2000年前から人間の残念さは変わらないという。
SNSのフォロワー約11万人の「上馬キリスト教会ツイッター部」のMAROさんが、独自の視点で聖書の中にいる“残念な人”を取り上げる、ゆるく楽しく聖書を解説している著書『聖書のなかの残念な人たち』(笠間書院)。
今回は、「負けを認められずに損失を垂れ流す人<エジプトのファラオ>」から一部抜粋・再編集して紹介する。
ファラオが苦手とした損切り
株式投資をするときには「損切り」が大切だと言われます。たとえば持っている株が暴落したときには、潔く諦めて早めに手放し、損失を最小限に抑えることが必要です。
しかし、頭ではわかっていても実際にはなかなかできるものではありません。それを最小限に抑えるためとはいえ、負けを認めて「損」を確定させなければいけないのですから。
旧約聖書の『出エジプト記』に登場するエジプトのファラオ(古代エジプトの王の称号)もまた、そんな「損切り」の苦手な人だったのかもしれません。
当時のエジプトにはたくさんのイスラエル人が住んでいました。その何百年も前に、移民としてエジプトに住み始めた頃にはある程度歓迎されていたイスラエル人たちでしたが、このファラオの頃には人権のない労働力として奴隷のような暮らしを強いられていたんです。
そこで登場するのが、あの有名なモーセです。モーセは神様から「イスラエル人のリーダーになって、みんなでエジプトから脱出しなさい」と命令されました。
そこでモーセはファラオのところに行って、「ファラオさん、神様の命令ですからイスラエル民族をエジプトから解放してくださいな」とお願いしました。
ファラオは答えました。「ダメだよ。そんなことをしたら、俺たちの労働力が減ってしまうじゃないか。だいたい、その神様って誰だよ、そんなの本当にいるのかよ」。