プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

王貞治さんの「868号バット」を寄贈するため、スタジオを飛び出し野球殿堂博物館へ。
パート1では、野球ファン必見の貴重なお宝の数々を堪能した一行。
パート2は、ついに歴史的な“レジェンド”たちが並ぶ“聖地”野球殿堂へ。

王貞治さんの肖像が見守る中、徳光家に眠っていた“お宝”が野球殿堂博物館の展示に加わる。
「徳光家の“王バット”殿堂入りスペシャル」パート2(前・中・後編)

“レジェンド”たちの並ぶ“聖地”野球殿堂へ

遠藤玲子(フジテレビアナウンサー):
そしていよいよ。こちらが野球殿堂ですが、荘厳な静謐(せいしつ)な雰囲気ですね。ちょっと雰囲気変わりますね。

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徳光和夫:
ちょっと変わりますね、確かにね。一礼してから入らなければいけないような感じでありますけども、野球の聖地にいよいよ、われわれは踏み入れようというふうに思っております。
江本さん、また一緒にお願いします。

江本孟紀:
お願いします。

徳光:
じゃあ、行きましょうか。

野球殿堂入り通知式(2025年1月)
掛布雅之(2025年野球殿堂競技者表彰エキスパート表彰)
野球というスポーツは、ひとりでできるスポーツじゃありません。
僕は15年間、タイガースで野球をやらせていただき、素晴らしいチームメイトに恵まれ、球団のサポートがあり、また野球ファンの温かい声援があったから、今ここに立っていられるんだと思います。
本日は本当にありがとうございました。

掛布雅之さんらの殿堂入り式典が行われたのが、ここ野球殿堂。
プロ野球選手だけでなく、アマチュア野球やメディア関係者も、日本の野球界の発展に貢献した方々のレリーフを展示。

2025年新たに加わったイチローさん、岩瀬仁紀さん、掛布雅之さん、そして元審判員の富澤宏哉さんの4人を含め、これまで222人が殿堂入り、その功績を後世に残している。
今夜、この野球の“聖地”に徳光家の宝「868号バット」が寄贈される。

遠藤:
これは殿堂入りの順番ですね。

徳光:
第1号は日本プロ野球の生みの親ってことで、正力松太郎さん。
僕が日本テレビに入社した時にまだ存命でいらっしゃいました。正力さん。
ヨタヨタなんですけれども、階段を降りていましたね。

徳光:
沢村栄治。

遠藤:
沢村さん、沢村賞の。

徳光:
不滅の熱球、背番号14番。

ここまでが、あれですか?第1号、最初の。

関口貴広さん(野球殿堂博物館主任学芸員):
そうですね。大野さんまでが、最初の、初年度の9人。

徳光:
そう、沢村さんは入ったわけですね。

江本:
この橋戸(頑鉄(本名:信))さんというのは、都市対抗の「橋戸賞」っていうのはあれでしょう?

徳光:
そうですね。久慈賞と橋戸賞があって。

江本:
橋戸賞っていうのはね。

徳光:
社会人野球の中では最高の栄誉ですもんね。

江本:
そうですね。

遠藤:
早稲田や慶応の関係者の方が最初は多いんですよね。

徳光:
最初は何したって早慶戦だもん。

江本:
やっとわが母校の若林(忠志)さんが出てくるんです。

徳光:
ミラクル投手ってね、七色の変化球。

江本:
昔から変化球は七色のも十色もあったんです。
最近の人は知らないけど。

徳光:
この人分かる?遠藤さん。

遠藤:
中島(治康)さん。分からないです。

徳光:
この人は野球の中で、打者として最高なものは何ですかね。

遠藤:
打者として最高?三冠王。

徳光:
最初の三冠王。

遠藤:
最初の三冠王が。

徳光:
ジャイアンツの4番バッターだよ。

江本:
背番号3番じゃなかったですか。確か。

徳光:
3番でしたかね。

江本:
長嶋(茂雄)さんまでいくのに、中島さん、千葉(茂)さん。

徳光:
それで長嶋さんですよね。

ブロンズ肖像の彫刻家は4代目

遠藤:
野球されてる時の肖像じゃないんですね。

関口:
そうですね。たぶん殿堂入りされた時期のお顔で、ということで。

徳光:
なるほどな、そうだろうね。

遠藤:
ご自身で、どうやって選ぶんですか。どの顔を?

関口:
基本的に写真をもとに彫刻家の先生が粘土の塑像を作って、それをブロンズに加工するんですが、ご本人やご家族、ご遺族にお伺いを立てつつ、どの顔、どの時代のお顔にするかっていうのは相談をしながら。決めさせていただいてます。

徳光:
作家は同じなんですか。

関口:
1959年にこの博物館ができてからずっと殿堂事業も行ってますので、66年目になるんですが、今は4代目の彫刻家の先生が務めてらっしゃいます。

遠藤:
鶴岡(一人)さんって、よくお名前がレジェン堂でもたびたび。

徳光:
そうですよね。いろんな選手を育てましたよね。

江本:
そうですね。野村(克也)さんとか広瀬(叔功)さんとか、のちのち杉浦(忠)さんとか。南海黄金時代のね。

徳光:
宅和(本司)とかね。

江本:
あのころのプロ野球を一世風靡(ふうび)してました。

遠藤:
別所(毅彦)さんです。

江本:
出た。

徳光;
別所さん。

関口:
別所さんも殿堂入りされた時のお顔を、ご自身で選ばれたと。

遠藤:
しかもちょっと横を向いてらっしゃる。

江本:
「プロ野球ニュース」の大先輩。

徳光:
そうか、「プロ野球ニュース」の別所さん、そうだよね。

徳光:
ここに大下(弘)さんが出てくるんだ。大下さん、若いな、この顔は。

徳光:
大下さんも豪傑で。8打数8安打打った時、ダブルヘッダーで朝方まで女郎屋さんにいて長襦袢(ながじゅばん)のまま球場入りしたという。それでユニフォームに着替えたっていうような逸話がある人なんでありますけど。

江本:
この佐伯(達夫)さんは高野連の会長で、高知商業に1年間、対外試合一切禁止するっていう。

徳光:
あの時の。

江本:
あれを出していただいた方でして。当時は恨みましたけど。

遠藤:
江本さん、忘れられない名前なわけですね。

江本:
忘れられない、顔は忘れてますけど。立派な方です。

遠藤:
三原(脩)さん。

徳光:
三原さんもこの時代なんだね。

遠藤:
三原さんの名前もたびたび…。

2024年6月18日放送
松岡弘:
近め、どんどん投げるよね。

徳光:
ええ。

松岡:
それで「その勇気がなきゃお前勝てないよ」って言われたのは三原さんなんですよ。
「勇気を持て」って言われた、その一言ですよ。

徳光:
すごいのは、具体的に「ここを攻めろ」とか、「ああしろ」ってんじゃなくて、「勇気を持て」っていう一言で、松岡弘が何を考えるかっていうことを。

松岡:
三原さんってそういう人ですよね。

2024年9月3日放送
徳光:

それで2年目から三原監督になるわけですよね。三原監督は勉強になったでしょうね。

大矢明彦:
僕はプロ野球、一番三原さんに教わりましたね。「まずお前球場入ったら何するんだ。外野のセンターの旗見るかお前、風がどっちから吹いている。日はどっちから上がっているんだ」、そういうところから始まるんですよね。

徳光:
杉下(茂)さんとか、荒巻(淳)さんが。

江本:
ちらほら、われわれも関わった人が出てくる。
この人、阪急のコーチ時代に、私が中学生の時にこの人からピッチングを、コーチを受けた。

徳光:
杉下さん?

江本:
いや、荒巻さん。

徳光:
荒巻さんですか。「火の玉投手」って言いましてね、昔の。

長嶋茂雄さんに憧れ立教大学に補欠合格

そして、わが長嶋茂雄さん。ここに出てまいります。

遠藤:
躍動感ありますね。このミスターの肖像。

徳光:
ちょっと浮き出てますね、ひと際。顔の幅厚くない?

江本:
だいぶ出てる。

遠藤:
より立体感がある感じがします。

徳光:
自分は、この長嶋さんがここにありました、大学新記録としまして8号目のホームランを打つわけですよ。その時に高校生で見ていて、それでこの人の後輩になりたいと思って、立教大学だけ受験したの。4学部、3学部全部だめで、1学部、社会学部だけ補欠。

遠藤:
補欠で。

徳光:
正規の合格者のところは日の当たるところよ、補欠は日陰にあるんだよ。

江本:
監督で、(昭和)51年(1976年)・52年(1977年)優勝していますけど、51年の優勝の時は僕が貢献したんですよ。

徳光:
どういう貢献です?

江本:
(2位の)阪神にいました。あえて巨人には勝たないようにしてました。長嶋ファンでしたから。

この人の出現は野球界にとりまして非常に大きいですよね。間違いなくね。

江本:
本当にこの人が今の野球界を作ったわけですから。

徳光:
野球界を躍動させましたね。より以上に面白くしたと思うんですよね。

野球界の発展に生涯をささげた長嶋茂雄さん。
野球殿堂の一角に国民栄誉賞を受賞した時(2013年5月5日)の記念品とユニフォームが展示されている。

遠藤:
これ純銀製の特注バットが記念品だったんですね。

徳光:
前、お話ししたかもしれませんけども、長嶋さんが80歳の誕生日の時に、王さんがスピーチで、日本の野球界、つまり野球界が日本の発展に貢献したっていう意味では、国民栄誉賞の第1号は長嶋さんでなければおかしいっていうふうに王さんおっしゃってたんだよ。
自分が第1号だけれども、あれは868号ってホームランが生まれてできた賞だけれども、本来の国民栄誉賞、野球人として一番の貢献したのは長嶋さんだから、長嶋さんが1号であるべきだっていうことで、王さんが力説したのが忘れられませんね。
そのくらい野球をね、面白さといいましょうか。

江本:
いや、もうこの人はもう。

徳光:
野球に導いてくれましたよね。

江本:
はい。もう、われわれの世代も、含めて。
だって僕ら田舎にいてね、そんなに見るわけじゃないです接点が。
でもあれは、なんでそこにいるのかなっていうね、そういうインパクトがあったんですよ。全国一斉みんなそうでした。

徳光:
テレビの時代ってこともあって、相まってより以上に広まったわけでしょうけどね。

遠藤:
88年、殿堂入り。金田(正一)さん、ミスター、別当(薫)さん、西本(幸雄)さん、監督としていろいろお話に出てきますね。今レジェン堂で、こう皆さん西本監督の話は。

2024年5月21日放送
山田久志:

西本さんにね、一回監督室に呼ばれることがあったんですね。「なあ、山田」つって。「プロ野球のピッチャーってのは、そうそうたるメンバー見てみろ」つって。「どんなことをしてるか分かるか」つって。「すべては準備だぞ、お前は」つって。「この世界は。今、マウンドへ明日上がるためには、今日、その前の日をどうやって過ごすかがやっぱり勝負なんだ」と。
それでもし仮に結果が悪く出たらね、「みんなはどう思うか知ってるか」って言って、「勝たせてやりたいな」というふうに思うって言うんですよ。

2025年2月25日放送
福本豊:

僕はピンチランナーでいきなりアウトでしたけど、「走る練習してこい」って言われた。

徳光:
へぇ、それ西本さんからですか?

山田:
アウトで怒られるのかと思って、「はよ走らんかい」って。アウトのセーフは言わなかったです。「はよ走らんかい!」。

徳光:
その一言が、のちの福本豊につながるんですか?

福本:
だから(いつも)「3球目までに走れ」って言う。

江本:
僕はピッチャーとして一番まねした人は、小山(正明)さん。

徳光:
小山さんですか。つい先日お亡くなりになりましたけれども。

江本:
250完投してますからね。

徳光:
あんまり力量感がないんですけど速かったですよね。

江本:
とにかく球は速いし、コントロールが針が穴を通すというね。

遠藤:
根本(陸夫)さんですね。

江本:
根本さんね、親分でした。中学校の時に見に来ました、僕を。

徳光:
根本さん、法政ですか?

江本:
法政なんですよ。その頃、関根さんとか根本さんの世代が。

徳光:
法政多いんだ、なるほど。

江本:
あのころは、「校門から足入れると入学」と言われた時代。

徳光:
根本さんは野球界にとって大貢献したんですよね。
背広着てからもやっぱり、野球界のために尽力されましたね。

遠藤:
背広着てからのお話多いですね。フロントでの根本さんのお話。

2025年2月18日放送
徳光:

本当に日本中が驚いたのは、僕なんかも驚いたんだけど、ホークスの監督に就任されるということなんじゃないですか。あの決断、あれはどういう経緯だったんですか?

王貞治:
そうですね、やはりちょうどもう、ジャイアンツのユニホーム脱いで5年か6年たちましたよね。やっぱりね、野球選手って、あの輪の中にいる時と外れた時は全然、そのなんていうんですかね、胸の高まりが違うんですよね。だから置いてけぼり食ったような感じなんですよ。

徳光:
なるほどね。

王:
もう2年間そこらへんしたらね、もう寂しくなっちゃうんですよね。

徳光:
そういうもんなんですかね。

王:
でもね、根本さんがね、熱心に誘ってくれたんですよ。

徳光:
なるほどね。

王:
根本さんはね、監督1年目なのにね。ある時会ったら 「おい、俺のあとやってくれ」って言って、「だって根本さん1年目じゃないですか」って言って、「いいんだよ」って言ってね、その2年目もまた誘ってくれて、最初はもうあんまり相手してなかったんですけどね、ちょうど私もそういう気持ちが、ちょっとまた出てきたところだったですから、ちょうどいいタイミングになって、結局あの年からね、1995年からですからね。

徳光:
ですよね。

2024年12月3日放送
徳光:

ドラフトの最後で大騒ぎになったんですよね。西武が工藤さんを指名したってことで。

工藤公康:
社会人に行くって言って断っているのに。で、結局「西武に入った」っていうふうになったら、結局いろいろたたかれましたよ。

徳光:
何があったんですか?お父さんはプロには行かせないっていうのから急に。

工藤:
結局はスカウトの人が来て、根本さんも来て、って言って、そこで話し合いが行われて、最終的にうちの父親が寝返ったっていう。

徳光:
寝返ったんじゃなくて、根本さんと話があったんでしょう?

工藤:
僕寝てたので分かんないんですよ。
ビール瓶がたぶん20本ぐらい並んでたんですけど、僕夜中の3時過ぎかなんかに起こされたんですよ、次の日学校なのに。で、今話をしたと。お前はもう根本さんに任せるからプロに入れと。親父が俺がプロに行きたいって言うのに、親父が社会人に行けっつったんじゃないって言ったら、「終わったことはいいんだよ!」って。

江本:
今の「GM」のはしりというか、一番。

徳光:
ああそうだ。

ほら、福本(豊)さん。

江本:
よくレジェン堂に出られてる。

2025年2月25日放送
徳光:

世界記録は西宮球場でしたんでしたかね?

福本豊:
939盗塁は西武。あの最後の方でやったんですよ、やりたくないのに。

徳光:
やりたくないのにですか?

福本:
負けてましてね。ボロ負けしてて5点ぐらい。相手9回でしょ。それでファーストにおってサインが出て。「走れ、走れ」で。そんな1点取ったって負けやがなと。
それで次の弓岡がセカンドゴロ打ってくれた。そこはセカンド行っても1アウトランナー2塁そこはあとショートの石毛(宏典)と山崎(裕之)さんかな、けん制でとっとことっとこって。
「走らないって」って石毛に言うて。何回かけん制するんですよ。けん制の練習してるのかみたいな感じでね。それなら行ったろうかいって。

江本:
田宮謙次郎さんは阪神の大打者で、僕は東映フライヤーズの時の監督。1年目のね。
張本(勲)さん、大杉(勝男)さん、白(仁天)さん、大下(剛史)、大橋(穣)。

徳光:
すごいですね、本当に。

江本:
よくそんなところ監督するなと。

徳光:
“東映組”って感じですよね。

徳光:
この人がアナウンサーといたしまして、唯一。志村正順さんっていうNHKのアナウンサーで。独特のしゃがれ声で野球中継をされた方なんですよね。

関口:
同じく殿堂入りされている小西得郎さんとコンビで、実況と解説っていうので。

徳光:
小西さんと実況中継。

関口:
今の野球中継のスタイルの原型を作られたってこともあって、殿堂入り。

江本:
高校の時聞きましたよね。小西得郎さんと「なんと申しましょうかぁ」っていう人。

徳光:
「なんと申しましょうかぁ」っていうね。必ず接頭語がつく。

【中編に続く】
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年7月15日放送より)

「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
https://www.bsfuji.tv/legendo/

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