プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
投手王国・広島の要として3度の日本一に貢献し、数々の珍プレーでも記憶に残るレジェンド・達川光男。壮絶な広島商業の練習、“ライバル”江川卓との関係、東洋大学入学・プロ入りの経緯など、スーパースターたちの素顔と自らのプレーについて語り尽くす。
徳光和夫:
「プロ野球レジェン堂」今回のゲストはですね、「投手王国」広島カープを老獪(ろうかい)なリードで支えるとともに、数々の印象的なチームプレーでファンを楽しませてくれます、球界きってのエンターテイナー・達川光男さん(70)です。
達川光男:
よろしくお願いします。
[達川光男(70)1977年広島ドラフト4位
投手王国・広島の正捕手として3度の日本一に貢献。ベストナインとゴールデングラブ3回受賞。数々の「珍プレー」でも伝説を残す]
徳光:
達川さん、いきなりですけどね、最近、ジャイアンツの岸田(行倫)がですね、達川さんの顔に似てきてるなって僕思うんですよ。
達川:
いやいやもう本当、生活感のあるね、勝たないと出れないような顔してるんで。非常に泥臭い顔してね。

達川:
彼は本当にね、どう言うんですか、「勝ちたい」がものすごく伝わってくるんで、僕はいいキャッチャーだと思いますけどね。
徳光:
お世辞でなく達川さんに似てくれば似てくるほど、あいつは良くなってくるなっていうふうに思いましてですね。

達川:
私、辞めた年にね、ジャイアンツの代表からすぐ電話あったんですよ。
僕、任意引退だったから。
「長嶋さんがね監督になるんだけど、君まだ体動くかい」って言われたんです。
「コーチ兼任で巨人に来ないか?」って言われたんです。
「私、任意引退なんで、球団の代表とお話してください」って。

達川:
長嶋さんが後ろで「Go Go」って言うのが聞こえましたよ。
何か言ってんの聞こえましたよ。
「じゃあ球団の代表と話してください」って言って。
2〜3日たっても、その人(広島の球団代表)と会っても何も言わないんで、「ジャイアンツから電話なかったですか」って聞いたら、「おう、あったぞ」と言って、「どうされたんですか」聞いたら、「断っておいたぞ」と言って。
「えーっ!」僕に相談なく断っておった。で、お蔵入りになったんですよ。
徳光:
達川さん、ジャイアンツのユニフォーム着てたかもしれない。
達川:
いろいろそう、長嶋政権の時。
徳光:
面白かった。
子どものころから広島ファン 野球の練習は「ゴムボール」伝説
徳光:
広島生まれで、広島商業からってことは、完全なカープファンだったわけですか?

[1955年広島市出身]
達川:
もうカープファン、もう大のカープファンでしたね。
私はもう、小学校3年のころから友達と自転車に乗ってね、球場行ってました。

[古葉竹識(2021年没85歳)1958年広島入団
現役時代は内野手。1975年途中に広島監督に就任、初優勝に導く。リーグ優勝4回・日本一3回。大洋監督も務めた]
達川:
王さんの真似して一本足で打ってみたり、長嶋さんの真似してオープン(スタンス)でグワーッとして打ってみたり、いろいろしたけど、そうは言っても、やっぱり古葉(竹識)監督。古葉さんが選手の時はね、やっぱり一番好きだったという。
徳光:
セカンド古葉。
達川:
古葉さんのおうちがね、私、牛田小学校というところだったんですが、古葉さんのうちまで5分だったんですよ。小学校から5分だったんです。
サインをしてもらいに(家まで)ダッシュで行ってました。
徳光:
達川さんだけ、ベルを押して逃げてたんじゃないでしょうね。
達川:
いやいやピンポンダッシュはね、よそでしましたけど。
あれでだいぶ盗塁のスタートの練習になりましたけど。
徳光:
小学校時代も野球やってらしたわけでしょ?

達川:
小学校時代、野球はね。野球部という今のようなクラブチームなんかないんです、一切。
テニスの柔らかいボールをそれを上から投げるわけです。ボンボンボンボン。
それをバットで打つから、だから小学校のころにプロの変化球も打ってたと思うよ。ものすごく変化するんですから。
これビューって曲がるし、ホップもするし。
やっぱり中学校へ入って、上から投げる軟式野球の先輩のボール平気で打てたんですよ。
徳光:
ゴムまりでやってたのが…。
達川:
もう、功を奏して。
徳光:
少年時代からキャッチャーだったんですか?
達川:
いやキャッチャーはね、小学校5年の時に市のソフトボール大会があって、「キャッチャーやれ」って言われたんです。
当時のキャッチャーって、ただ受けるだけです。
盗塁もない何もないから、受けるだけ。一番下手という人がやること。
外野へ行ってバックホームとかあるじゃないですか。普通キャッチャーがするじゃないですか。そしたらピッチャーの人が「おいどけー」ってどかされるんですよ。
で、ピッチャーの人がこうしてタッチするんですよ。
徳光:
えぇそう?そんなことがあったんですか?

達川:
いやいや、もう邪魔になるからどけと。
で、その人が全部。
キャッチャーだけは野球やるうえで、絶対やらないぞと思ったんですよ。
徳光:
その5年生の経験で。
達川:
そうそう絶対やらんぞと。
で中学校の時は、1回もやってないんですよ。
とにかくキャッチャーほど嫌な職業はないなと思って。
徳光:
でもあれですよ、小学校時代からプロ野球の選手は目指したんですよね?
達川:
それは目指してました。6年生卒業のアルバムに書いてますよ。

「プロ野球選手になりたい(カープの選手)」って。大谷と一緒ですよ。
名門・広島商業へ「反対を押し切って受験」伝説
徳光:
当時、高校野球がかなり盛んになってきたころですよね。

達川:
広島では、広島商業と広陵がもう2強で、どちらかへ行かなきゃ甲子園に行かれないという状況でしたよ。
徳光:
そういった中で、広島商を選んだのはどうしてなんですか?

達川:
あのね、今だから言うんですが、学校の先生に「広島商はやめなさい」って言われたんですよ。
市商(市立広島商業)というところがあったんです。
「県商」に対して「市商」。私ら県立の、そして市立があって。
「おまえ偏差値がこれだけしかないから、広島商は滑るかもわからんから市商へ行け」と。
で、先生に「先生、僕は滑ってもええから広島商を受けさせてください」と。
(市立広島商業には)硬式野球なかったんです。軟式野球しか。だからもう、その時点で硬式やりたかったから、どうしても。
私ね、(私立は)崇徳と広陵と山陽に一応、願書を出したんです。
で、一番最初に崇徳の商業科を受けて通ったんですよ。
通って、公立が(合格発表の)何日か後に試験だった。
徳光:
県立広島商を受けたんでしょ?
達川:
そうしたらね、(倍率が)2倍以上ですよ。
徳光:
そうか、県立で2倍以上って倍率高いですね。
達川:
めっちゃ高くてね。
パッと教室入ったら、各校のピッチャーで4番ばっかりですわ。
徳光:
名だたる…。
達川:
(受験生の)大半が声はかけられていたんですよ。「おい広島商へ来ないか」とか。
私はまったくノーマークですよ。
徳光:
声かけられなかった?

達川:
声の「こ」の字もないですよ。
それで、受けたら通ったんですよ。あれよあれよという間に入学してしまったんですよ。
広島商業野球部「新入部員が1日で半分に」伝説
達川:
(入学した)4月8日にすごいことがあって、4月9日に新入部員が半分になりました。
徳光:
1日で何があったんでしょう。それは高校生同士で何かがあった。

達川:
いやそれも秘密です。想像にお任せするということで。
それはもう僕、よく記憶にございません。
徳光:
広島商なりのやっぱり“おきて”みたいなものがあるわけでしょ?
達川:
ありますね。「野球部心得」ってね。
書かれてますよね。「1日で覚えろ」と言われて。
徳光:
先輩に。
達川:
それはもう、先輩が4月8日に、明日までに覚えてこいと。
どうやって覚えるんだ。これ書き写して。
今やったら、携帯でパチンと撮ってからすぐできるんですが、あれ写すだけでも結構しんどかったですよ。
「精神野球に徹すべし」と。「日日一挙一動を精神野球のなんとかかんとか」とずっとやってて。
もう忘れたです。もう覚えとったけどね。去年まで覚えとったんですよ。きょう忘れた。

広島商「野球部心得」8カ条(※原文ママ)
1. 広商野球部は精神野球に徹すべし
2. 日日一挙一動を精神修養の場と心得 自らを律するべし
3. 特にグランドは精神野球修練の道場にして命懸けの真剣勝負の錬成の気持ちを持って臨むべし
4. 全精神を傾注する一の練習は並の十の練習に勝ることを知るべし
5. どこでも勝る猛練習こそ広商野球を確立する唯一の方法なり、血の出るような猛訓練あってこそ幾多の輝く球史が樹立されたり
6. 練習においては常に頭をう動かし工夫を凝らして一球一打一プレーにも反省を加え短所は直ちに矯正し充実せん 合理的で能率的な練習に励むべし
7. 寸秒も無駄なきを期すべし
8. ファイトなき者は去れ
徳光:
そうですか。あそこに出てるんですけどね。
達川:
ああ、広商野球部は精神野球に徹すべし、日日一挙一同を精神修養の場と心得 自らを律するべし、特にグランドは精神野球の鍛錬の道場にして…、これあったよ。
これをさ、1日で覚えたんだから、立派なもんよね。

徳光:
かなり難しいですね、これ。
「どこでも勝る猛練習こそ広商野球を確立する唯一の方法なり」
「血の出るような猛練習があってこそ幾多の輝く球史が樹立されたり」
達川:
そうなんですよ。
徳光:
あんまり意味分からずに覚えてたでしょ?

達川:
意味なんか全然分からないですよ。怒られる恐怖で覚えたという。
だから私ら、無駄口たたかないで、「はい」と「いいえ」と「なんですか?」かしか言うなと。

達川:
31日とかいうか、月末の日にね、五厘にしなきゃいけない、「五厘刈り」に。
近くの散髪屋さんはね、もう心得て開けてくれてましたよ。
もうみんな、さあ5分で、はい一丁上がり、二丁上がり、三丁上がり。
それでカッターシャツ白絶対でしょ、ホックは絶対しなきゃいけなかったでしょ。
パンツはね、長い白いパンツじゃないといけないですよ。
忘れられんぐらいいっぱいありますよ。
徳光:
なるほどね、その時代はね。

達川:
朝ね、4時45分に起きるのよ。5時に出るんですよ。6時に学校に着かなきゃいけないんですよ。
で、帰ったらだいたいね、「11PM」か「オールナイトニッポン」。
徳光:
家帰ると、そんな時間なんですか?
達川:
ナイターがあったから、ナイター施設があったんです。帰ったら「オールナイトニッポン」。1時じゃあって。

徳光:
その時にやめようとは思わなかったんですか?
そういうことがあったにもかかわらず、続けようと思ったのはどうしてなんですか?
達川:
いや怖かったです。やめるのが。
徳光:
そういうことか。

達川:
徳光さんね、なんでプロ野球で、というよりも、今まで生きてこれたかって、世界一気も短いんですよ。
だけど世界一気がちっちゃい、短気なんですけど。
だけどそのちっちゃい方が、いつも「おい戻れ、戻れ」って戻してくれる。
徳光:
素晴らしい自己分析ですね、これはね。
達川:
いやいや、(同級生の)大野豊に聞いたら分かりますよ。
徳光:
そうですか。

[大野豊(70)1977年広島ドラフト外入団
七色の変化球を武器に通算148勝138セーブ。最優秀防御率2回・沢村賞1回。社会人を経て達川より1年先に入団]
達川:
もう脅かすんですよ、僕を大野が。最初のころ。。
徳光:
逆だと思ってましたよ。
達川:
最初の1年目の時に、大野に「あいさつせぇよ、おまえら。わしらより早く食うな」って。先に食べてたら。
「おい1年生、風呂早い。あとから入れ」。
「お前同級生じゃない。そういう言い方するんか」と思いながら。
大野怖かったんだぞー。
徳光:
びっくりしました。
ここに座ってる時の大野さん、みじんもそんなことを感じさせませんでしたけど。
紳士なイメージでした。

達川:
いや、あれじゃないと、そりゃね、100勝100セーブはできない。
あれだけ首を振ってインコース投げられると言ったら、大野しかいないよね。
徳光:
でも達川さんのリードでインコースでしょ?
達川:
いや彼が首を振るんです。私は「外で頼むよ」と言って…。
それはジョークですけど、インコース出すんですが。
日本刀の上に立つ?広島商“恐怖の練習”伝説
徳光:
1つどうしても答え合わせしたいことがあるんですけど。
この番組で、谷繁元信さんが出演した時に、「進学候補からは広島商はそもそも外してた」と、谷繁さんおっしゃってたんですけど。
2025年6月24日放送
谷繁元信:
広島商業はまず最初に僕嫌だったんですよ。
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谷繁元信 徳光:
第一候補でしょうが?
谷繁:
嫌だった理由が練習の方法、当時うわさがあるわけですよ。
徳光:
中学生に伝わってくるわけ?
谷繁:
伝わってくるんです。刀の上をね、歩かなきゃ、立たなきゃいけないとか。
徳光:
本当にですか?
谷繁:
いやあったんですよ、そういう。わかんないですよ、本当にやったかどうか。
そんなのできるわけないでしょ、まず。中学生ですから。
で、本当にそれで僕嫌だったんですよ、広島商業が。
徳光:
本当にそんなうわさだけじゃなくて、日本刀の上を歩く練習っていうのはあったんですか?

達川:
歩くってね、歩けるわけないじゃないですか。
徳光さん、(日本刀の上に)乗るだけですよ。乗るだけ。
徳光:
乗る?
達川:
上に乗るだけ。
あのね、こういうふうに、台にはまるように置いてあるんですよ(※達川が持っているのは、おもちゃの刀)。

達川:
で、その上に普通に乗らないんですよ。
同級生とか下級生の肩を借りて、(日本刀の)上から3秒ぐらい乗るんですよ。
これね、コツがあって、この二の腕を思い切りガーッと借りて、で、刀の上にスッと乗るんです。

達川:
それで3秒ぐらいたったら終わるんですが、それで少しでもズレたらピュッと切れるんですよ。
だからコツがある。
(終えると)それで日本刀の痕が、この足の裏にピーッとつくんですよ。
どんなことがあっても動じないようにする練習。
徳光:
そういうあれですよね。
精神的、メンタル的なトレーニングですね。

達川:
そうそう、だから滝に打たれたり、だから今、護摩行へ行ったりとかするけど、だけど、この日本刀の上に歩くのは、高野連から「もうやめなさい。危ないから。危険をともなうからやめなさい」というような。
徳光:
それはまあ、そうでしょうね。
【中編に続く】
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年9月30日放送より)
「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
https://www.bsfuji.tv/legendo/
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