「家に帰るのが楽しみだ」。母にメールを送った数日後、韓国語と中国語が堪能なアメリカ人の男子大学生は、中国南部の雲南省で忽然と姿を消した。
遺体も痕跡もないまま20年以上が経ち、浮かび上がるのは北朝鮮による拉致の疑い。失踪した男子大学生の家族は、「拉致問題は日本だけでなくアメリカの問題でもある」と訴える。
失踪直前の足取りと不自然な途絶
今から約21年前の2004年8月、アメリカ西部ユタ州出身の大学生デービッド・スネドンさん(当時24歳)が中国・雲南省の虎跳峡(こちょうきょう)でハイキング中に失踪した。中国当局はアメリカ国務省に対し、川に転落死した可能性があると報告。しかし、転落した証拠や遺体は見つからなかった。
家族や在中国のアメリカ大使館が調査した結果、スネドンさんは8月11日に虎跳峡の峡谷を通過し、ゲストハウスに宿泊した後、14日には韓国料理店で食事、店主と韓国語で話していたことが確認された。食後には帰国の途につくため約2キロ圏内にあるバス停に向かったとされるが、その後、目撃情報はぷっつりと途絶えた。スネドンさんは秋には大学院を受験予定で、失踪直前には母親に「家に帰るのがとても楽しみだ」とメールを送っていた。
こうした失踪直前の状況を受け、行方不明になってから12年後の2016年、上下両院は全会一致で「デービッド・スネドン氏の失踪への懸念表明」の決議案を採決した。国務省およびすべての情報機関に北朝鮮による拉致の可能性を視野に本格的に調査するよう指示する決議だ。しかし、今なお、スネドンさんの行方はわかっていない。
「弟は間違いなく北朝鮮にいる」無事を信じる兄の思い
「弟は韓国料理店の近くで連れて行かれた可能性が高い。拉致されたなんて最初は考えもしなかったが、彼は北朝鮮に間違いなくいる」こう語るのはスネドンさんの兄・ジェームズさん(58)だ。
現在アイダホ州在住のジェームズさんは、弟が行方不明になった雲南省を訪れ、捜索活動を行った経験がある。弟の行方が分からなくなった現場について「近くには警察署や軍事施設があり、軍隊が行進しているのも見た。安全な場所だ」と印象を語った。また、川に転落死したとの中国当局の見解については「弟が歩いていた道から川まではかなり遠い。1.6kmほど離れていて、転落したとは考えづらい」と述べた。
ジェームズさんは北朝鮮関連の専門家から連絡を受け、「最後に目撃された韓国料理店は北朝鮮当局者の“情報収集所”だった」と伝えられことを明らかにし、「弟は韓国料理店の近くで連れて行かれた可能性が高い。拉致されたなんて最初は考えもしなかったが、彼は北朝鮮に間違いなくいる」と断言する。FNNのインタビューに応じる決心をしたジェームズさんは、「進展が全くなく、がっかりしている」と語り、20年以上たった今も弟の話になると表情を曇らせ、言葉を絞り出すように語っていたのが印象的だった。
脱北者救出活動に関与と誤解された可能性
雲南省は、北朝鮮からの脱北者がミャンマーやラオスなどに亡命する際の通過ルートであることから、北朝鮮当局者が警戒している場所だ。脱北者が相次いだ1995年以降、中国当局は中国側で捕らえた脱北者を北朝鮮に引き渡してきた経緯がある。
アメリカメディアは一斉に、スネドンさんが失踪したのと同時期に、雲南省で20代のアメリカ人大学生が中国当局に逮捕され、釈放後、脱北者を探していた北朝鮮当局に捕まったと報じた。日本の拉致被害者支援団体「救う会」が入手した情報だった。他にも韓国の拉致被害者団体が平壌の情報提供者から入手した情報として、スネドンさんが北朝鮮で「ユン・ボンス」という名前で生活し、結婚して子供2人がいると伝えている。
「救う会」の西岡力会長は、スネドンさんが韓国語を話すアメリカ人であることから目立っていたうえ、脱北者の救出に関わっていると誤解された可能性を指摘する。また、「95年以降、主として中国で脱北者を助ける人たちが北朝鮮に拉致されるということがたくさん起きていた。その延長線上にスネドンさんのケースがあるのではないか」と分析する。西岡会長は「動機のない失踪のうえ、峡谷の危険な箇所を越えて、飲食店に入ったところまで確認されている。断定はできないが、拉致の可能性がかなり高い」と述べ、「アメリカは国力を使って調査を進めるべき」と訴えた。
「今でも生きているだろうか」待ちわびる高齢の母
兄・ジェームズさんは弟について、「アイスホッケーが大好きで、韓国語も中国語も流ちょうで語学の達人だ」と振り返り、「異文化や人にオープンで新しいことを学ぶことが好きだった」と懐かしんだ。スネドンさんの両親は現在90歳で、いまも息子の帰国を待ちわびている。父親は認知症を患い、徐々に記憶を失いつつある。
ジェームズさんは「当時、母は毎日泣いていた。そして今でも息子に会いたいと強く願っている。今でも生きているだろうかと心配している」と悲痛な思いを明かした。「弟はできる限りを尽くし、北朝鮮で生きているだろう。でも自由はなく、きっと家族に会いたいし、家に帰りたいと思っている。私たちは弟を決して忘れないし、今でも愛している。北朝鮮に可能な限り働きかけ、彼を連れ戻すまであきらめない」と語った。
一方、ジェームズさんは議会が国務省やCIA(中央情報局)などに拉致被害者として調査するよう求めているにも関わらず、進展がないことについて、「国務省は中国当局の見解をそのまま繰り返しているだけだ。議会で決議された通り、すべての情報機関やあらゆる手段を使って弟を見つけてほしい」と訴えた。
また、トランプ大統領が2025年10月に東京で拉致被害者家族と面会をした様子を目の当たりにしたジェームズさんは、「なぜアメリカ人が拉致された可能性があるのに、我々は大統領に会うことができないのか?」と憤りを露わにし、「拉致問題は日本だけではなく、アメリカの問題でもある」とも訴えた。
元CIA担当者も政権当局者も「トランプ大統領の下では進展望めない」
元CIA=米中央情報局の韓国支部長で北朝鮮情勢に詳しいヘリテージ財団のブルース・クリングナー上級研究員は、「北朝鮮では誰もが方言や言語が異なる人、知らない人に対して疑いの目を向けるため、韓国の諜報員でさえ活動が難しい。さらに、厳重に管理された社会に多数の治安当局が存在する」と説明する。
スネドンさんが不明になった場所は中国であることから、調査には中国当局の協力も必要になるが、クリングナー氏は「トランプ大統領は中国との貿易に強い意欲を持っているため、この問題が貿易協定締結の妨げになると見なせば、中国に圧力をかけることに消極的になるだろう」と分析する。
トランプ大統領は第一次政権の任期中、3度に渡って金正恩総書記と直接会談したが、拉致問題も核問題も何ら進展していない。その後のバイデン政権は、北朝鮮に厳しい姿勢を貫き、完全な非核化を目指したが、北朝鮮は交渉に応じず、米朝関係は停滞した。二期目のトランプ大統領は2025年10月に韓国を訪問した際に金正恩総書記との再会に意欲を示したが、実現しなかった。

クリングナー氏は「北朝鮮は今、アメリカ、日本、韓国との対話に関心を示していない。」と断言する。その理由として、ロシアから莫大な利益を得ていること、中国との貿易が再開されたこと、そしてサイバー犯罪、特に暗号通貨で得ている利益によって国際制裁の影響を緩和できていることを挙げる。「この状況が続く限り、日米にとって北朝鮮との交渉は難しい」と悲観的だ。
また、アジア外交を専門とするトランプ政権当局者はFNNの取材に匿名を条件でこう答えた。「スネドンさんが拉致された可能性はある」。一方で、「トランプ大統領は、北朝鮮の非核化にも、拉致などの人権問題も正直関心が無い。しかも、今の北朝鮮には対談の意思はないので進展は望めない」と、こちらも悲観的な考えを示した。
北朝鮮による拉致が日米共通の課題であることは火を見るよりも明らかだ。アメリカ人拉致被害者の帰りを待つ家族も高齢化し、日米に両政府にとってこの問題はもはや一刻の猶予もない。
「8つの戦争を終わらせた」と標榜し、「ノーベル平和賞が欲しい」と臆面もなく豪語するトランプ大統領。トランプ大統領が何らかのレガシーを求めるのであれば、人権問題を最優先に位置づけ日本政府と連携し、拉致問題解決に向けて揺るぎない姿勢で北朝鮮と対峙することを求めたい。
(FNNワシントン支局 林英美)
