プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
投手王国・広島の要として3度の日本一に貢献し、数々の珍プレーでも記憶に残るレジェンド・達川光男。壮絶な広島商業の練習、“ライバル”江川卓との関係、東洋大学入学・プロ入りの経緯など、スーパースターたちの素顔と自らのプレーについて語り尽くす。
「嫌だった」キャッチャーは同級生の仮病がきっかけ伝説
徳光和夫:
高校時代にキャッチャーになったわけですよね、広島商で。

達川光男:
(入学当時は)それはね、キャッチャーとしては認められていなかった。
なったのはね、こんな単純なことでなったんですよ。
ちょうど(1・2年生の新チームで)中国大会に出られることになったんですよ。
2年生と1年生の新チーム。新チームになって、3年生が辞めて。
でね私、当時レフト守ってたんですよ。
徳光:
はぁ。
達川:
でね、2年生がなぜか知らん、修学旅行に行ったんですよ。
普通は行かないんですよ、中国大会がある前に。

達川:
で行って、1年生だけの11人の練習になった。
その日にキャッチャー1人しかいなかった。大城というやつしか。
彼がね、仮病を使ったんですよ。「タコがあたった(腹痛)」って。
結局キャッチャー休んでて、レフト2人いたんですよ。

達川:
で私ね、迫田監督に呼ばれたんですよ。
「おいキンチョール戻ってこい!」
私なぜなら、「キンチョール」ってあだ名だったんです。
徳光:
ニックネームが?
達川:
なぜキンチョールか言ったら、一発芸しなきゃいけないんですよ。
一発芸するのに、谷啓さんの金鳥蚊取り線香のコマーシャル15秒やってたの。
「ハエが落ちるハエが落ちるハエが落ちる。どうしてこんなにハエが落ちる。オラ知らねオラ知らね。キンチョールのせいだよ、オラ知っちょる、キンチョール!」って言ってたんで、「キンチョール」ってあだ名になったんですよ。
徳光:
監督に呼ばれて。

達川:
で、呼ばれて、「キンチョール、きょうは大城が食中毒で休んどるけ、キャッチャーおらんけ、そこのフリーバッティングのキャッチャーミットでも使え」って。
で、ボール回ししたんですよ。
そしたら、「おまえ、ええ肩しとるのぉ」。
徳光:
いいスローイングしてる、肩。
達川:
「ええ肩しとるのぉ」。私、その瞬間に、「あなた半年間どこ見とったんですか。私のこと一回も見てなかったですね」と思ったよ。その瞬間に。

達川:
「明日からキャッチャーやれ」と。
徳光:
へえ。
達川さん5年生の時、キャッチャー初めてやって、「二度とキャッチャーは嫌だ」っておっしゃってたのに?
達川:
だから「はい」と言えしか。
徳光:
言えないか。
達川:
1年生は「はい」しかないのよ。

徳光:
そこから才能が開花するわけですか、キャッチャーとしての。

達川:
いや最初ね、それでクビになるんですよ。
あのね、1年たって2年生になった時点で、「おまえはエースの佃と合わないから外野に行け」と。
佃ってエースなんですよ。エースと合わんから、おまえは外野行けと。
だから(2年生)秋の県大会と中国大会は僕、レフトで出てるんですよ。
徳光:
背番号2じゃないんだ。
達川:
背番号7。
で、そこから甲子園も、中国大会は優勝したから、(春のセンバツ)甲子園も不祥事ないかぎり、ほぼ決まりですよ。
今のように20人も入れないんです、ベンチ。当時は14人ですよ。
徳光:
そうでしたね。
達川:
14人入って、16人から14人で2人落とすと。
監督に呼ばれて、「おまえもう1回キャッチャーやれ」と。
藤本と木村と、下級生ですよ、勝負せえと。
「そいつら(下級生)に勝ったら、おまえベンチ入れるけど、負けたらおまえ外れるぞ」と。
はっきり言われたよ。
そこからキャッチャーにもう1回戻って。

[佃正樹(2007年没52歳)
1973年、広島商を甲子園で春・準優勝、夏・優勝に導いた左腕エース。寡黙な性格ながらアイドル的人気に。法政大から三菱重工広島へ進んだ。
徳光:
それで佃投手のボールを受けるわけですか?
達川:
受けるんですよ。だから最初ね、どうしてもこうしたらこうなるんですよ(ミットをつけた左ひじが引ける)。
こうなるとね、徳光さんね、谷繁さんもうまいし、古田さんもお上手ですけど、今のキャッチャーってね、こうボールが来るでしょ。
左のスライダーね、こうして捕るんですよ(ミットを左にずらして捕る)。
こうして捕るでしょ。
例えばこのボール、こうして捕ったら...。

徳光:
ボールになるんだ。

達川:
ボールに見えるでしょ。
私はね、こうしてくるやつをこうする(左脇を締めてミットを立てて捕球する)。
ストライクに見えるんです。
徳光:
審判はストライクに取るわけですね。

達川:
僕ら(キャッチャー)はね、アンパイア(審判)との戦いですよ。アンパイアに、どっちでもいいボールですよ、明らかなボールをストライクにしても何の意味もないし、どっちでもいいのを、いかにストライクにしてもらえるのかが、これがキャッチャーの良し悪しですよ。
だから僕ができるのは、これができる。脇を締める。
徳光:
その技術は、高校時代に身につけた?
達川:
高校時代からずっと、僕左ピッチャーを受けてるから。

幸せなキャッチャー人生になったのはそこからね。
僕はずっと、いいピッチャーを受けてるんですよ。
打倒江川卓 広商スクイズ失敗作戦伝説
徳光:
この時代での甲子園の一番の思い出って何ですか?
達川:
やっぱり一番の思い出はね、やっぱり江川卓と対戦したというのがもう。
徳光:
江川と対戦したわけですね。

[江川卓(70)1978年阪神ドラフト1位
作新学院では2年末までに2度の完全試合を含むノーヒット・ノーランを6度達成など、数々の“怪物・江川”伝説を残す]
達川:
これはもう一生忘れないね。
江川を打たないかぎり、こいつ永遠に同級生なんで、こいつを打たないかぎり、プロ野球で勝負できないなと思って。
徳光:
センバツの前に江川さん、当時作新学院の江川さんの事前情報というか、広島にももちろん伝わってた?
達川:
これはね、何のあれもないのに、もう(監督の)迫田さんは人づてに「すごいのがおるぞ、関東に」と聞いていた。

[迫田穆成(よしあき)(2023年没84歳)
現役時代は広島商の主将として1957年に甲子園優勝。監督として広島商で春夏通算6回出場し73年夏は優勝に導いた]
達川:
もう迫田さんの中には、全国制覇しかなかったから、江川を破らんかぎり勝てないというんで。じゃあ江川どうしたらいいかって、部長さんとずっと話してた。
徳光:
間違いなくセンバツで、江川にこれは当たるだろうと。

達川:
もう江川しかないということで。もう「江川練習」というメニューがあったからね。
徳光:
見たことのない「江川練習」したわけですか?

達川:
しました。
何をするのかなと思って、最初。
だけどまあ、「はい」しかないから、「やれ」って言われたことをやったんだけどね。
迫田さんの中で、江川は招待試合じゃ何やらかんやで、いろんなことがあって、「全力で投げない」と。ランナーがサードまで行くまでは。
その代わり、スクイズもできない。すごい球投げるから。

達川:
じゃあどうしようかということで、スクイズを失敗するんですよ。
あえて空振りするんです。で、サードランナーがホームへ帰って挟まれている間に、セカンドランナーがそのランナーがアウトになる間に追い越して1点を取ると。
徳光:
へー、そんな作戦を組んだんですか。
達川:
何回もやりました。
で、県大会でやったんです。広島工戦で成功したんです。
そしたらアンパイアが、(セカンドランナーがサードランナーを)「追い越した」と言って、アウトにしたんです。

達川:
で、試合終了後に、部長さんが審判団に「これは抗議じゃないと。もう1回うちはこういうことをするから、もう1回確認してほしい。サードランナーが先にアウトになってから、セカンドランナーが追い越してるじゃないかと。だから得点は認められる、きょうはいいと、別に」と言ったら、アンパイアが(判定ミスを認めて)「すいませんでした」と謝ったんです。
徳光:
そうでしょうね。すごい作戦ですね、それは。

達川:
それを毎日毎日1時間するんですよ。
時々ね、(攻守)逆があるんですよ。だから私ら今度守るんですよ。
守る時に対処できない。
だから、「おまえら相手にやられたらどうするんだ」って怒られてたんですよ。
「はいグランド走ってこい」って言われて、だからもう(自分でも守れないから)これ成功するなと思ったんですよ。
センバツ準決勝 広島商が怪物・江川に勝利伝説
徳光:
その時、甲子園開会してすぐ作新学院の試合があったんですよね。

[1973年春のセンバツ
開会式直後の試合で作新学院(栃木)と優勝候補の一角、北陽(大阪)が対戦]
達川:
そうそう北陽高校(大阪)と。
徳光:
それはご覧になってたんですか?
達川:
全校見てた、全校。広島商だけじゃなくて、30校全部見てた。
誰もシートノック見てない。
江川がブルペンの後ろから、ちょっと軽く「へーッ」と遠投気味にサーッと投げたら、球がヒューッと来る。
そしたら「うぉー」言うわけですよ。
徳光:
甲子園が。
達川:
江川のピッチングで「うぉー、うぉー」言って。

[作新学院 2ー0 北陽 江川が19奪三振で完封勝利]
達川:
完封しましたけどね、北陽に。
もうずっと完封だもん、56イニングかずっと。

徳光:
地区大会から数えて135回連続無失点を記録したそうです。

徳光:
でも広島商も3試合連続完封してるんですよね、そこまで。
現実の問題として、佃と江川の対決ってあったわけでしょ?
達川:
ありましたね。
徳光:
これやっぱり、ものすごい試合になりましたね。

達川:
2ー1で勝ちましたけど。
やっぱり実力はもう江川ですよ、すべて。
もうやっても普通には勝てないけど、作新学院が左バッターが多かったんで、佃の球打てなかったですよ。
徳光:
これだから江川さんから1点、ここで取ったってことですよね。
達川:
私のね、火の出るようなフォアボールで。
それで佃がファーストの後ろにヒットを打ったんです。

[広島商は江川に5回までに100球を投げさせスタミナを奪い、8回にダブルスチールを敢行。キャッチャーの悪送球で2点目を挙げた]
徳光:
やっぱり広島商野球が、少なからずとも翻弄(ほんろう)させたってことはあるんじゃない?
達川:
まあ江川も「広島商に照準を絞ってた」ということを言ってるんで。

達川:
江川が50歳の時に、江川が野村謙二郎と私と3人で、日本テレビのブースで話してたんですよ。
「達川さん、よう江川さんを打ち崩したですね?」って。
「打ち崩してないよ」
「よかったですね」
「おーなんで勝ったかわからんよ、今でも。もう一回やったら絶対勝てんよ」

達川:
そしたら江川が、「今だから言うんだけど、俺寝違えてたんだ」と。
徳光:
あの時に?

[準決勝 広島商対作新学院は雨のため翌日に順延されていた]
達川:
「あの時雨降ったろ」って言うから。
「おう雨降ったよ。順延になったよ」
あの時に(試合前日)少しソファかなんかで寝たらしいんですよ。その時に寝違えたらしい。
で、「俺はセットポジションで1塁ランナーも見えなかった」と。
徳光:
首が回らなくて…。
達川:
だからまあ当時、痛み止めも何もなかったんで、そのままやったんじゃないかね、言えないし。
徳光:
でも、やっぱり、首をひねったからこそ勝てたっていう気持ちはないでしょ。
達川:
そりゃあない。
徳光:
そりゃあやっぱり勝利は勝利でしょ、これ。

達川:
いやもう、それはもう全身全霊でやって勝てて、次の日の(決勝の)横浜高戦は、やっぱり集中力がなかった。
徳光:
魂抜けちゃった。
そこでちょっと燃え尽きちゃったじゃないですが、江川は倒したっていうので、ちょっともう。

達川:
キャッチャーが骨折してたのよ。
だから骨折してたから、盗塁し放題だったのよ。にもかかわらず。
徳光:
そういうもんなんですね。
この高校野球はつまり、これ(江川との準決勝)が決勝だったわけですね、広島商にとってみれば。
達川:
そうなんです。
徳光:
対作新学院が。

達川:
で、負けて砂集めてたら、あの(部長の)畠山先生が「おまえたち何やってんだよ」と。
いやそんな、集めたのわからんかいなと。
「春の土は持って帰るなと、夏来ないのか」と。
みんな捨てたふりして、持って帰ったやつもいたけど。
「スタンドで見ていた」江川卓 “サヨナラ押し出しフォアボール”伝説
徳光:
でも本当に夏戻ってくるわけですもんね、それで。
達川:
広島商は戻ってくる、作新も戻ってきたし。
徳光:
センバツのやっぱり、江川との好勝負があるだけにですね、もう一度甲子園で江川と対決したいみたいな、作新と対決したいみたいな気持ちはあったんでしょう?
達川:
もちろんありました。
(作新学院対)銚子商業の試合見に行ったもん。

[1973年8月16日夏の甲子園2回戦 作新学院 - 銚子商
江川は延長11回まで無失点を続けるも12回に押し出しのフォアボールでサヨナラ負け]
達川:
あの試合なんてね。もう感動的だったよ。
雲ひとつないところからプレーボールですよ。
ところが、急に8回ごろから、ダーッとバケツひっくり返すような雨が降ってきて。
徳光:
そうでしたかね。

達川:
それで「これもう中止じゃろうが。何してるのや」というぐらいの感じだったけど、高校野球はそんなコンディションでもやっちゃいますよ。
それで江川がストライク入らないようになって、「わー大丈夫かい」って、(延長12回裏の)満塁で3ボール2ストライクになった時にマウンドへ集まった。
「あの時、おまえら何話したんや」って言ったら、江川が言うには「俺、次のボール何投げたらいい?」って、みんなに言ったらしい。
徳光:
へぇー。

達川:
「おまえの一番大好きなまっすぐ投げろ」、みんなが。「おまえのおかげでここまで来れたんじゃないか」と。
「おまえの好きなボール投げろよ」と、みんなが言ってくれたと。
「押し出しになってよかった」、みんながね、そうやって言うてくれて涙が出てね。あいつはそういうのを言わないだろうけど、涙でキャッチャーが見えなかったんじゃないかと思うよ。
徳光:
なるほどね。

達川:
あれ見た時に、まだまだライバルしててよかったなと思うけど、「わしはお前をライバル視して一生懸命頑張ったよ」って言ったら、「おまえはライバルじゃなかった」と。「僕のライバルは掛布(雅之)だった」。
あいつ、面白いジョーク言いやがるんですよ。だから腹立たない。

達川:
僕らの同級生はもう、集まったら江川の話ばっかりじゃない。
徳光:
いまだにですか。
達川:
やっぱり昭和30年代生まれのね、選手がみんな頑張れたのは江川のおかげ。
徳光:
ってことは、「江川世代」と呼んでもよろしいわけですか?

達川:
いやもう完全に江川世代ですよ。江川に始まって江川で終わった高校時代、春の大会、夏の大会ですよ。
【後編に続く】
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