食の雑誌「dancyu」の元編集長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。
植野さんが紹介するのは「若鶏香味揚げ」。東京・墨田区曳舟にある居酒屋「三祐酒場 八広店」を訪れ、甘辛酸の絶妙なバランスで、お酒がグイグイ進む鶏肉料理を紹介。
いろいろなアレンジが楽しめる、特製のうま辛ダレの作り方も学ぶ。
昔ながらの店と新しい店が混在する曳舟
「三祐酒場 八広店」があるのは、東京・墨田区京成曳舟駅。東京スカイツリーのある押上駅から一駅と浅草からも近く、静かで住みやすい下町だ。
この記事の画像(9枚)隅田川と荒川に挟まれたエリアでもあり、人力で綱を曳き、船が川を運行する「曳舟」が行われていたことからその名が付いたとも言われている。
植野さんは「曳舟から向島の方は本当に下町な感じで、飲み屋や昔ながらの居酒屋もたくさんある。スカイツリーができてから人の流れが変わって、新しいお店もできたけど、昔ながらのお店も残っていて。東京の中でもかなり新旧混在している温故知新的な街になったんじゃないですかね」と話し、店に向かった。
元祖焼酎ハイボール見当ての客も多い居酒屋
京成曳舟駅から徒歩7分の場所にある、赤ちょうちんが目印の店が「三祐酒場 八広店」。
三角の形をした独特の建物で、角はとても細いが、中に入ってみると、奥に向かって広がっていくような作りになっている。
カウンター席に加え、ゆったりとした座敷席もあり、地元の人だけではなく、評判を聞いた酒好きが集まっては、毎夜うたげを繰り広げている。
営むのは、2代目店主の奥野木晋助さんと、妻の幸子さん。八広店は、祖父が曳舟で始めた「三祐酒場」の暖簾分け。
以前は晋助さんの両親が営んでいたが、今は夫婦2人で看板を守っている。
店主は和食店で修業、タヒチのホテルで料理人を務めたこともあるという。酒の提供は幸子さんが担当し、名物「元祖焼酎ハイボール」を目当てに来る客も多い。
名店の歴史を受け継ぐ貴重な一軒
埼玉の造り酒屋で生まれた晋助さんの祖父・奥野木祐助さんが、1927年に曳舟で酒屋「三祐酒店」を始めた。
戦争が始まると、酒店が配給所として使われていたことから、自然と多くの人が集まるようになったという。
そして、「ついでに飲ませてくれ!」と頼む人が増えたため、酒店の隣で「三祐酒場」を始めることになった。
晋助さんは「そこが本店だったんです。他のお店だと暖簾分けする店もあると思うんですけど、うちの店の場合は、自分たちの息子が所帯を持つと長男には小岩、次男には新小岩、うちの親父は八広、と3軒の店をやっていて。おじさんが亡くなったりとかするたびに店もなくなり、2013年年には駅前の本店もなくなり、八広店だけが残った」とこれまでの経緯を語った。
焼酎ハイボールとともに人気の店に
多くの客が目当てとする「焼酎ハイボール」誕生にもストーリーがある。
伯父の祐治さんが「焼酎をおいしく飲む方法はないのか」と、日々模索していた時、出入りしていた進駐軍のバーで当時日本ではなかなか飲むことのできないお酒に出会ったという。それがウイスキーを炭酸水で割ったウイスキーハイボール。
「“ウイスキーって炭酸で割ったらこんなに美味しんだ。じゃあ家に帰って焼酎も炭酸で割ったら美味しいかな”と思ったら、やっぱり臭くてダメだった。それを試行錯誤して作ったのがうちの酎ハイ」と晋助は明かした。
そこで祐治さんは、焼酎を飲みやすくするために独自の焼酎エキスを開発する。元祖焼酎ハイボールの輝く琥珀色はそのエキスによるもの。
それから店で売り出すと、飲みやすさと味わいから、たちまち人気の一杯になった。次第に酒場ごとに独自のエキスを開発し、下町で爆発的ヒットとなった。
本日のお目当て、三祐酒場 八広店の「若鶏香味揚げ」。
一口食べた植野さんは「余計な甘みや油っぽさがない。鶏のうまさ、香ばしさ、ねぎの香りがキリっとする」と感動していた。
三祐酒場 八広店「若鶏香味揚げ」のレシピを紹介する。