「この場所を目標にしてきたので、“やっとここに立てたんだ”という思いはありましたけど、試合が始まれば、あとは淡々と投げるだけでしたね。緊張感もなかったです。同じ野球ですから」
さらに井川は続ける。
「オープン戦での起用を見ると、当時の自分は四番手ぐらいの位置にいました。でも、一番手の王建民が故障して、ローテーションが流動的になりました。
それで自分がこの日に投げることになったんですけど、自分はデーゲームがとにかくダメなんです。日本にいた頃からデーゲームは避けていました。
でも、しょっぱなからいきなりデーゲーム。“あぁ、イヤだな……”と思いながらマウンドに上がりました」

5回KOに終わったものの、それでも井川はショックを覚えていなかった。
苦手なデーゲームだったこと、相手打者もよくわからないまま投げたこと、ボールの感覚にまだなじめていなかったこと……。打たれるべき理由はいくつも思いついたからだ。
「結果的に残念な内容にはなったけど、“ナイトゲームであれば……”とか、“相手打者の特徴をつかめれば……”とか、“ボールになじんでくれば……”という思いだったので、特にこの結果を引きずることもなく次の試合に臨めましたね。
マウンドも確かに硬かったけど、それは東京ドームも、ナゴヤドームも一緒だったので、“そのうち慣れるだろう”という感覚でした」
3戦目で訪れた待望の初勝利
続くオークランド・アスレチックス戦は敵地での登板となった。
「前回の反省を踏まえて粘り強いピッチングを心がけた」ものの、5回途中で3失点と、2試合続けて結果を残すことができなかった。
そして、メジャー3戦目、待望の初勝利の瞬間が訪れる。2007年4月18日、本拠地・ヤンキースタジアム。相手はクリーブランド・インディアンスだった。