1997年にドラフト2位で阪神タイガースに入団し、2007年にニューヨーク・ヤンキースに移籍した井川慶さん。

メジャー1年目は不完全燃焼に終わり、先発から中継ぎに配置転換されたり、メジャーとマイナーを行ったり来たりする日々だった。

そして、メジャー2年目に突然の「サイドスローへの転向」を指示されたという。井川さんはその指令にどんな返答をしたのか。

9人の日本人メジャーリーガーの異国の地での挑戦と戦いをまとめた、長谷川晶一さんの著書『海を渡る サムライの球跡(きゅうせき)』(扶桑社)から一部抜粋・再編集して紹介する。

2年目に迫られた決断

1年目を終えた感想を尋ねると、井川は小さく笑いながら言った。

「そうですね、“全然わかんねぇよ”って感じですかね(笑)。相手選手の特徴も覚えられなかったし、ボールやマウンド、各球場の感覚もわからなかったし……。

でも、この環境は自分でコントロールできることじゃないから、与えられた環境でしっかり投げる。ただそれだけを考えていましたね」

井川は同じ言葉を繰り返した。だからこそ、改めて尋ねた。

――与えられた環境がマイナーだったとしても、腐らずに変わらぬ気持ちで投げられますか?

この問いに対して、何の迷いもない口調で井川は言い切った。

「投げられますね。というか、投げられましたね」

メジャーでの経験を振り返る井川慶さん(撮影/ヤナガワゴーッ!)
メジャーでの経験を振り返る井川慶さん(撮影/ヤナガワゴーッ!)
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決して強がりではなく、心からの言葉だった。実はこの2年目、井川は「ある決断」を迫られていた。それが「サイドスローにしろ」という指令だった。

「2年目を迎えるにあたって、ピッチングコーチから“サイドスローにしろ”と言われました。そして“サイドにしなければ、メジャーでは起用しないよ”とハッキリ告げられました。

マイク・マイヤーズというサウスポーがいたんですけど、彼が上から投げていてパッとしなかったのに、サイドにしたらワンポイントとして貴重な戦力になったそうです。だから、“お前もそれを目指せ”ということでした」

しかし、井川はこの申し出を断った。