東日本大震災から12年が経った。それは東京電力福島第一原子力発電所の事故から12年ということでもある。福島県では、県内の電力需要を100%再生可能エネルギーで賄おうとする動きがある。

しかし、広大な敷地を必要とする太陽光パネルや巨大な風車など、故郷の自然や景観を犠牲にしなければならないジレンマも抱えている。ジャーナリストの大谷昭宏さんと取材した。

水素で街づくりを目指す浪江町 世界最大級の水素製造拠点も立地

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大谷昭宏さん:
双葉町の街中に入ってきています。こちら消防団の分団ですが、震災当時のままですね。シャッターがひしゃげたままで、時計は12年前の午後2時46分をさしたまま、今も止まっています

福島県双葉町。JRが運転を再開し「双葉駅」は新しく改装された。

しかし12年経った今なお、そのほとんどは帰還困難区域のままだ。

車は通れるものの、住民以外は降りることを許されていないエリアには、崩れたままの住宅が数多く残っている。

双葉駅から北にわずか2キロ余りのところに位置する浪江町は、2017年に一部の地域で避難指示が解除された。

徐々に整備も進み、現在は震災前の1割弱の住民が戻って来ている。

週末には地元の住民や観光客で賑わう「道の駅なみえ」は、2020年8月にオープンした。この施設には大きな特徴がある。

浪江町産業振興課の担当者:
こちらが道の駅なみえで使っております、純水素燃料電池でございます

照明や空調など、使われる電気の3割ほどを“水素”で発電している。

「なみえ水素タウン構想」を掲げる浪江町。水素ステーションも開業するなどしているが、交通だけでなく、商業、工業、農業などあらゆる分野を水素で繋げ、「ゼロカーボンシティ」の実現を目指している。

野菜や日用品などを求めて住民が集まる移動販売を支えるのも水素だ。移動販売車への燃料電池車の導入は、世界初だという。

女性客A:
私、車乗れないので。週に1回ここに来てくれるので、助かっています

女性客B:
これから新しい町になんなきゃいけないから。だって以前通りにはもう、無理ですからね

浪江町産業振興課の担当者:
私たちはエネルギーによる災害を受けたので、再生可能なエネルギーで街づくりしていかないと、これからの子供たちに持続可能な社会を届けてあげられないからということで

水素社会を実現するための研究施設も、浪江町にある。2020年に完成した「福島水素エネルギー研究フィールド」だ。

大谷昭宏さん:
(水素貯蔵タンクは)今、全部中入っているんですか

NEDOエネルギーシステム部の大平英二さん:
今どのくらい入っているかは見えないんですけど、満タンに入ると、重さでいうと500キログラムくらいの水素がここに入ります

大谷昭宏さん:
水素って軽いわけだから、それが500キロってすごいですね

震災前は新たな原発の予定地だった東京ドーム5個分の敷地に建てられた、福島水素エネルギー研究フィールド。

世界最大級の水素製造拠点で、1日に製造できる水素は、150世帯の1か月分の電力に相当する。

水素の製造に使う電気は、周囲に設置された大量の太陽光パネルなどで発電。“究極のクリーンエネルギー”となるべく、研究が進められている。

大谷昭宏さん:
我々「水素が使えるんですよ」と言われても、「え、何に使えるの?」という感じがするんですけど

大平英二さん:
水素の使い道は非常に広い。もちろん発電することもできますし、車のエネルギーにもなります。あとは熱、燃やすことで熱を取り出すことができる

電気と違い“貯める”ことや“運ぶ”こともできる水素。気象条件などに左右される再生可能エネルギーの一番の課題である「供給のムラ」をなくし、“安定供給”が可能になるという。

政府は原発施策を“方針転換”…「100%再エネ」で“脱原発”が揺らぐ福島県

震災前とは全く違う“街づくり”は、福島県全体で進められている。

大谷昭宏さん:
遥か彼方に高速道路が見えますが、このソーラーパネル、あそこまで連なっているようです

浪江町の帰還困難区域には、20万枚ものソーラーパネルが敷き詰められていた。

飯舘村の山の上には、巨大な風車が建てられた。

福島県エネルギー課主幹の諸井雅樹さん:
2040年度を目標に、100%のエネルギーを再生可能エネルギーから生み出すという目標を立てています

原発事故の1年後の2012年に打ち出した、県内のエネルギー需要を「100%再生可能エネルギーで」とするプロジェクト。17年後の2040年での達成を目指し、県は市町村や企業に補助金を出すなどして支援する。2021年時点ですでに50%弱を達成しているが…。

岸田文雄総理(2022年7月):
地元の皆さんの意見も聞きながら再稼働を進めていく。最大限の活用を図っていく

2022年、政府は原発の耐用年数を、「60年以上」にまで延長し、新設も検討するなど大きく舵を切った。

県民の女性:
ここだって40年くらいでそうなったでしょう。これから20年、大丈夫だろうなんていうのは信じられないな

県民の男性:
原子炉そのものはもつと思いますよ。ましてや(原発は)あったほうがいいんじゃないですか。だって火力だけで賄えてないでしょ

国はスタンスを変えたが、県が変えることはないのか。

大谷昭宏さん:
つい最近まで“脱原発”という流れが強かったと思うんです。再稼働どころか耐用年数60年まで延長すると。福島としては、例え原発がそういう流れになったとしても、再エネは間違いなく推進していくと

諸井雅樹さん:
復興の基本理念として「原子力に依存しない」安全安心で持続的に発展可能な社会づくり、これを基本理念としておりますので

「原発による被災地」だからこそ「原発に依存しない街」を目指す。

愛知から福島に派遣され移住…男性が惚れ込んだ地域にも「再エネ計画」

原発事故から約6年間、計画的避難区域とされた川俣町の山木屋地区を訪ねた。

大谷昭宏さん:
どうもお久しぶりでございます

宮地勝志さん:
ご無沙汰をしておりました

大谷昭宏さん:
3年ぶりで

宮地勝志さん(63)。震災翌年の2012年、勤めていた愛知県の日進市役所から川俣町に派遣され、その後、川俣町役場に転職。2020年に定年で退職するまで、一貫して除染に携わってきた。

定年後は、そのままこの町に移住し、現在は除染が終わり避難指示も解除された山木屋地区で、30種類もの西洋野菜を育てながら暮らしている。

大谷昭宏さん:
やっぱり「原子力農業支援」(シール)が…

宮地勝志さん:
被災地で営農を再開する場合はご支援いただける

大谷昭宏さん:
ハウス建てるときの補助金とか

宮地勝志さん:
そうですね、4分の3みていただいている

大谷昭宏さん:
なかなか原子力災害と縁が切れないですね

宮地勝志さん:
ですね

宮地さんが惚れ込み移住を決めたこの地にも、再生可能エネルギーの計画が持ち上がっているという。

宮地勝志さん:
風力発電の話が、計画がある。それを進めようとしている話は聞いています

巨大風車建設に住民は猛反発 “脱原発”社会への開発で抱えるジレンマ

大谷昭宏さん:
ここから見たら良い景色ですね、ここは。新緑になったら、綺麗でしょうね

大内勤一さん:
そうです、最高です

宮地さんと同じ山木屋地区に住む、大内勤一さん(69)に話を聞いた。

大内さんは2017年、地区の避難指示が解除されると、すぐに妻とともに自宅に戻り、現在は花などの栽培を手がけている。

区長を務めていた大内さんが2019年に聞かされたのは、この地区に発電用の風車を建てる計画だった。

大内勤一さん:
(業者が)私のところに直接来たんですよ。業者たちは「そういう説得するのも(帰還している)人数少ないから楽だろう」みたいな、そういうのもあったんじゃないか

計画では、直径約150メートルの風車を18基。大内さんを始め、住民たちは猛反発した。

大谷昭宏さん:
風力そのものがダメなんですか?

大内勤一さん:
いや、そういう意味じゃないです。ここが近すぎるからダメだよ、と。(ふるさとを)これ以上壊して、ここにいる人たちが行くとこないでしょうって

6年の避難生活を経て取り戻した、故郷への想い。

大谷昭宏さん:
あの稜線ですね?

大内勤一さん:
そうです。その頂上から向こうはもう二本松。これ(風車が)ぐるっと囲んじゃうんですよ

大谷昭宏さん:
今ちょうどこう、雪と稜線に日が照ってきましたけど、どうでしょうこの光景に風車は合いますかね

大内勤一さん:
いや、合わないですよ。全く合いません

福島県などによれば、環境面での申請もまだ途中の段階で、計画は2020年から進んでいない。取材に対し業者側は、「協議・交渉を進めている中途段階であり、回答を留保する」と答えている。

二度と失いたくない故郷。役場職員として町の人々の帰還に携わり、川俣の地に移住した宮地さんに尋ねた。

大谷昭宏さん:
福島県の再生エネルギー100%、県民の1人としてどうお考えになっている?

宮地勝志さん:
それはもう、どんどん新しいことを見つけていくことは必要だと、私も思っています。化石燃料に頼っていてはまずい。だけれども、山木屋に戻って来られる方たちにとっては、「わざわざあんな景色は要らない」と思っているんじゃないか

原発に依存しない社会のための開発と、複雑な住民の思い。震災から12年、被災地が抱えるジレンマだ。

2023年3月10日放送
(東海テレビ)

東海テレビ
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