メジャーリーグ史上で初となる、シーズン40本塁打/40盗塁と40二塁打を記録したアルフォンソ・ソリアーノ。メジャーで通算412本の本塁打を放った男の、プロ野球選手としての第一歩は広島東洋カープで始まった。

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今回の『AKI猪瀬のMLBとっておきコラム』では、MLBジャーナリスト・AKI猪瀬氏が、ソリアーノが明かした日本を離れた理由や、その後のメジャーで見せた活躍について解説する。

メジャーへと舞台を移し、輝きを見せたソリアーノ

「野球に対する愛情、試合に対する情熱が無くなってしまった。今、一番大切な事は、家族と共に過ごす時間」

2014年11月4日、引退会見でこう口にしたアルフォンソ・ソリアーノ。

そのソリアーノは、プロ野球選手としてのキャリアを日本でスタートさせた選手だ。

ドミニカ共和国の「カープ・アカデミー」を経て、1996年に来日。1997年8月5日に広島東洋カープで一軍デビューを飾り、9試合に出場して2安打を記録する。シーズン・オフの契約交渉で破談したソリアーノは、任意引退公示を受けて、1998年9月29日にヤンキースと契約。保有権を保持していたカープに対してヤンキースは310万ドルを支払った。

ここから、ソリアーノのメジャーリーグでの輝かしいキャリアが始まった。

99年、若手有望株が一同に会する「オールスター・フューチャーズ・ゲーム」で2本塁打を記録してMVPを獲得し、同年9月14日にメジャーデビュー。

2001年にレギュラーを獲得すると18本塁打43盗塁を記録して、新人王投票では1位イチロー、2位サバシアに次ぐ3位の得票数を集めた。02年はリーグ最多安打、最多盗塁、最多得点を記録してMVP投票3位。03年はメジャー史上5人目となる2年連続30本塁打/30盗塁を達成する。

この当時、現地ニューヨークで取材した際に「広島時代は、とにかくホームシックとの戦いだった。そして、日本の食事が残念ながら合わなかった。アイスクリームやファースト・フードばかり食べていたので、プロ野球選手としての身体造りも出来なかった」と広島での日々を振り返った。

メジャー初の40本塁打/40盗塁+40二塁打

2004年2月16日、ヤンキースはアレックス・ロドリゲスを獲得する為に、ソリアーノをレンジャースへトレード放出。この年のオールスターでクレメンスから3ラン本塁打を記録してMVPを獲得し、史上初めて「フューチャーズ・ゲーム」と「オールスター」でMVPを獲得した選手となった。

2005年12月13日にナショナルズへトレード移籍し、2006年にはメジャー史上最速で通算200本塁打/200盗塁を達成。

そして、メジャー史上4人目となるシーズン40本塁打/40盗塁に加えて、メジャー史上初となる40/40+40二塁打を記録した選手となった。

記録的なシーズンを過ごしたソリアーノは、2006年11月20日、当時シカゴ・カブス史上最大規模となる8年1億3600万ドルで契約。広島の二軍時代やヤンキースでは「悪ガキ」タイプの選手だったソリアーノだが、輝かしいキャリアと大型契約を手に入れた頃から、若手の見本になる良きベテラン選手の風格が身に付いて行った。

2010年にカブスでメジャーデビューを果して、オールスターに4度出場したスターリン・カストロは、「メジャーリーグの総てをソリアーノに教わった。フィールド以外でも、沢山の事を教わった。試合後に食事に出かけた時には、一度も自分のお金を使った事が無かった。すべてソリアーノが払ってくれていた」と話した。

日本の「名球会」入りの資格を持つが…

2013年7月26日にトレードでヤンキースに復帰したソリアーノは、8月7日に日米通算2000安打を達成して、日本の「名球会」入りの資格を取得。2014年には史上7人目となる両リーグで各1000安打以上を記録したが、成績不振により7月6日にヤンキースを戦力外となった。

日本でプロ野球初安打を記録しているソリアーノは、「名球会」入りの有資格者だが、いまだ入会はしていない。

「僕のプロ野球人生は日本で始まった。そのような素晴らしい会に入会出来るのならば、喜んで加わりたい」と語っていたソリアーノ。

娘3人と息子3人を持つ良き父親のソリアーノは、冒頭の引退会見で語ったように、現在は家族中心の穏やかな生活を送っている。

AKI猪瀬
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