タンザニアから信州長野のりんご農家へ
長野県飯綱町のりんご畑で働く小林フィデアさん。アフリカ・タンザニアから日本にやってきて30年、農家の嫁として、レストランスタッフとして、そして、母国の子どもたちを支援する活動家として生きてきた。「畑仕事やったことない。でも楽しい、りんごは」。そう笑顔で語る彼女の人生には、国境を越えた深い物語があった。
「外国人いらない」4回断られても
青年海外協力隊員だった夫・一成さんと結婚し、飯綱町にやってきたフィデアさん。町内のレストランで働くこと28年、すっかり「名物スタッフ」。
一成さんは「親父が、フィデアがいればラジオいらねえやって」と、父親の言葉を今でも覚えている。
しかし、日本での生活は、決して平坦ではなかった。義母の介護のためにヘルパー2級の資格を取ろうとした時、「外国人いらない」「黒人ダメ」と4回も断られた。
それでもついに受け入れてくれたのは、目の見えない人だった。
「泣いて嬉しかった」とフィデアさん。
この経験が「価値は一緒。国が違っても、言葉が違っても、肌の色が違っても価値は一緒だよ」という信念を強めた。
ジャムと寄付金で母国に施設を
フィデアさんの母・レジーナさんは、タンザニアで孤児となった子どもたちを自宅で世話していた。その姿を見てきたフィデアさんは、日本から母国を支援することを決意する。
2010年、職場や友人の力を借りてNPO法人を設立。勤め先のサンクゼールでは「フィデアジャム」を開発し、売上の一部をタンザニアへ寄付する取り組みを始めた。

個人からの寄付金も募り、2017年までに子どもたちが暮らす施設2棟が完成。8年間で集まったジャムの支援金は、約2800万円にのぼる。
「日本とタンザニアをつなぐ、かけはしですね」
フィデアさんの言葉には、二つの国への深い愛情が込められている。
「あなた来てよかった」義母の本音
夕方、フィデアさんは義母の静子さんをお風呂に入れる。お風呂の時間は、二人にとって特別な時間だ。
「お母さんの一番楽しい時間はね、お風呂の時間」とフィデアさん。
静子さんから打ち明けられた言葉を、彼女は今でも忘れない。
「私、謝らなきゃいけないことあって、フィデアね、ここにお嫁に来ること大反対してたよって。でもあなた来てよかったって言われた」
30年前、遠いアフリカからやってきた一人の女性は、今では飯綱町のりんご畑に、そして地域に、なくてはならない存在になっている。
※この記事は2026年1月16日にNBS長野放送でOAした「フォーカス信州 愛はポレポレ~小林フィディアの生きる道~」をもとに構成した内容です。(全3回の記事その1)
