「岐阜」の名の由来は諸説ありますが、一説には、禅僧が中国の周王朝の古都「岐山」に由来して進言した名を信長が採用し、天下統一の志を込めた命名だったとされます。
このとき信長が掲げたのが「天下布武」というスローガンです。信長は「天下布武」を印文に用いるようになります。「武をもって天下の秩序を布く」という信念は、単なる武力による制圧ではなく、新たな統治の理念を示すものでした。
ただし、この当時の「天下」とは、日本全国を指すのではなく、室町幕府将軍の足利氏が管轄していた京都を中核とする畿内を指すという研究もあり、信長は足利将軍を中心とした畿内の秩序回復をめざしたという説もあります。
いずれにせよ、黄金の信長像が岐阜駅前に建てられたのは、この地がまさに信長の天下取りの出発点であったからです。
織田信長(1534〜1582)
戦国・安土桃山時代の武将。父は信秀。幼名吉法師。信秀没後、尾張を統一。1560年、桶狭間の戦いで今川義元を破る。67年、美濃斎藤氏を破り岐阜に居城を移す。翌年、足利義昭と共に上洛し、義昭を将軍に擁立、室町幕府を再興させる。だが、その後不和になり、73年、義昭を京都から追放し室町幕府を滅ぼす。75年、長篠の戦いで武田勝頼に大勝し、翌年近江に安土城を築いて移った。関所を廃し、楽市・楽座を行うなど統一政権樹立の基礎を固めた。82年、中国・四国制圧を期して上洛中、本能寺で明智光秀の謀反に遭い自害した(本能寺の変)。
丸岡慎弥
元大阪市公立小学校15年勤務。現在、立命館小学校勤務。関西道徳教育研究会代表。日本道徳教育学会会員、日本道徳教育方法学会会員。銅像教育研究家。教師の挑戦を応援し、挑戦する教師を応援し合うコミュニティ「まるしん先生の道徳教育研究所」を運営
