JR岐阜駅の北口広場にある、織田信長の像。

黄金に輝くその姿は思わず引きつけられ、歴史上の人物の在りし日の姿に思いをはせることができる。

小学校の教師として授業で道徳を教える際に、さまざまな銅像を題材にして、学びを深めていたという、丸岡慎弥さん。著書『銅像が教えてくれる日本史』(扶桑社新書)から、岐阜が誇る織田信長の銅像について一部抜粋・再編集して紹介する。

岐阜駅前に輝く黄金の像

JR岐阜駅の北口を出ると、青空を背景に燦然と輝く黄金の像が目に飛び込んできます。甲冑に身を固め、マントを羽織り、左手には西洋兜を持ち、右手には火縄銃を携えています。

岐阜の玄関口を訪れる人々を圧倒するその像こそ、織田信長をかたどった「黄金の信長像」です。

岐阜駅前にある織田信長の銅像(画像:イメージ)
岐阜駅前にある織田信長の銅像(画像:イメージ)
この記事の画像(3枚)

像の本体は高さ約3メートルですが、台座と合わせれば11メートルにも達し、駅前広場を堂々と見下ろしています。その視線はまっすぐ遠方を見据え、まるで未来を切り拓こうとする覇王の眼差しを現代に甦らせているかのようです。

この像は岐阜市制120周年を記念し、平成21年(2009)に「信長公の銅像を贈る会」の尽力によって建立されました。

市民の寄付と熱意が結実したものであり、単なる観光施設ではなく、岐阜の誇りそのものです。黄金に輝くその姿は、権力の誇示であると同時に、乱世を照らす希望の光として人々の記憶に刻まれています。

「うつけ」と呼ばれた常識破りの若武者

信長は1534年、尾張国(現在の愛知県)で生まれました。

幼少期は「うつけ者」と呼ばれるほど奔放で、奇行に満ちた人物であったと伝えられています。人々の葬儀で線香を投げる、町を駆け回るなど、常識から逸脱した行動は家中の評判を落としました。

しかし、この「うつけ」と揶揄された態度は、実は既存の秩序や常識にとらわれない自由な精神の表れでもありました。信長は若くして兵法を学び、鉄砲や馬術を好み、周囲の武将とは異なる発想を持ち始めていました。