父・織田信秀の死後、家督を継いだ信長は、尾張統一に取りかかります。家中の反発や同族との抗争を次々と退け、その独創的な戦略眼と苛烈な決断力で勢力を拡大していきました。

奇襲作戦で歴史変えた桶狭間の戦い

1560年、駿河・遠江・三河を領有する今川義元が、上洛をめざして大軍を率いて西上しました。兵力は2万5千ともいわれる大軍であり、尾張の小大名に過ぎない信長の兵はわずか2000でした。誰もが信長の敗北を予期しました。

しかし、信長は大胆な奇襲作戦を決断します。豪雨の中を進軍し、桶狭間で休息中の義元本陣を急襲、見事に義元を討ち取り、大軍を総崩れに追い込んだのです。

この戦いは、数的不利を覆しただけでなく、「常識を超えた発想と果断な行動力」で歴史を動かす信長の真骨頂を示した一戦でした。

ここから信長の名は全国に轟き、彼は戦国乱世の表舞台に登場することになります。

美濃平定と「天下布武」

桶狭間での勝利の後、信長は尾張から美濃へと勢力を拡大しました。斎藤氏を滅ぼし、1567年には稲葉山城を攻略しました。信長はこの城を「岐阜城」と改め、ここを本拠と定めます。