東京・上野には、博物館があり、その近くには上野動物園もある。
これは「日本の博物館の父」と呼ばれる田中芳男が、かつてフランスで見て感激したフランス国立自然史博物館のような博物館を目指したことからはじまる。
そんな彼が、どのようにて日本初の博物館を創設したのか。歴史作家・河合敦さん著書の『侍は「幕末・明治」をどう生きたのか』(扶桑社)から、一部抜粋・再編集して紹介する。
上野で行われた博覧会
明治10年、内務卿・大久保利通は殖産興業を目的に、上野公園を会場にして大規模な博覧会を開くことに決めた。これが第一回内国勧業博覧会である。以後、明治28年まで五回にわたって開かれた。

第一回目は農業、園芸、機械など6分野で8万4000点の物品が陳列された。これまでとは異なり、遙かに規模の大きなイベントであった。102日間の会期中に45万人が参観したと伝えられ、産業や文化の近代化に大きく貢献した。
もちろん、博覧会の準備を担ったのは田中芳男と町田久成であった。本館だけでなく、機械館、農業館、園芸館、美術館、動物館などいくつもパビリオンがつくられ、開会式には天皇皇后両陛下が参列した。
会場の通路はアスファルト舗装され、庭園には大噴水が設置された。田中芳男はこの博覧会で審査官として活躍した。