さまざまな文化財が収集保管、展示されている東京・上野にある東京国立博物館や国立博物館、そして上野動物園。

その前身にあたる博物局で、それらの設立に貢献したのが、「日本の博物館の父」と呼ばれる田中芳男だ。

飯田城下に旗本の侍医の子として生まれ、その後幕府に命じられたことから、日本で初めて西洋式の昆虫標本を作製した人物。苦難の末に完成させた標本をパリ万博に展示し、このときにパリで目にした博物館に感激する。そして明治になって、現在の東京国立博物館などの創設に貢献した。

歴史作家・河合敦さん著書『侍は「幕末・明治」をどう生きたのか』(扶桑社)から、一部抜粋・再編集して紹介する。

田中芳男の数奇な人生

子供の頃、虫取りに興じた方も少なくないだろう。私も標本キットを購入し、夏休みの自由研究で昆虫標本をつくった経験がある。日本で初めて西洋式の昆虫標本が作成されたのは江戸時代のことである。つくったのは幕臣の田中芳男という人物だった。

芳男は明治になると新政府に仕え、「日本の博物館の父」と呼ばれるようになった。いったいなぜ彼は昆虫標本をつくることになり、その後は博物館に関わるようになったのか、その数奇な人生を紹介していこう。