大阪城豊國神社に立つ、豊臣秀吉の銅像。その姿は勇猛で威厳に満ちあふれていながらも、どこか庶民的な雰囲気も漂わせる。

小学校の教師として授業で道徳を教える際に、さまざまな銅像を題材にして、学びを深めていたという、丸岡慎弥さん。著書『銅像が教えてくれる日本史』(扶桑社新書)から、銅像の姿から見えてくる秀吉の生き方について、一部抜粋・再編集して紹介する。

天守を背にして立つ秀吉像

大阪城を訪れる人々の目にまず飛び込んでくるのは、雄大な天守閣の姿です。しかし、その堂々たる天守を背にして立つ一体の銅像こそが、多くの人々の心を捉えて離しません。豊臣秀吉の銅像です。

令和8年(2026)には、秀吉と彼を陰で支えた弟の秀長(ひでなが)を描いたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が放映されますが、大阪城には豊臣兄弟を祀る豊國(ほうこく)神社があり、秀吉の銅像はその境内にあります。

豊臣秀吉の銅像(画像:イメージ)
豊臣秀吉の銅像(画像:イメージ)
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高さ5.2メートル。像そのものが3.2メートル、さらに台座が2メートルを占めます。

大阪の青空を背に立つその姿は、まるで天を衝くかのようです。右手に軍配、左腰に刀。軍配は戦場を采配するだけでなく、天下を導く知恵と決断の象徴。刀は力を示しつつ、無用の争いを抑える権威を意味します。そして顔に刻まれた眼差しは、威厳の中にもどこか庶民的な親しみを残しています。

この秀吉像は、大阪城という舞台と不可分の存在です。かつて彼が築いた城、その城の前に立ち続ける像。それは単なる記念碑を超え、「大阪の歴史」と「庶民の夢」を体現しているのです。

農家に生まれた少年が天下人へ

1537年、尾張国の農家に生まれた日吉丸は、武士の家柄ではなく、学問の機会も乏しい少年でした。そんな少年がのちに天下人となるなど、誰が想像したでしょうか。