13日、千葉県のある牧場には弔問客が、ひっきりなしに訪れていた…。

花で埋まる厩舎…その隣から、生前、一番仲が良かったという馬が顔を出し、戸惑っているように見える。
9月9日、この世を去った馬の名は「ハルウララ」29歳。
生涯で113戦して、一度も勝てなかった。しかし、多くの人に愛された馬だった…。
献花の男性:
(競馬には)ど素人もど素人なんですけど。なんかハルウララだけは印象に残っていて。やっぱり負けても負けても走っているっていう姿に共感してしまって…。
韓国人男性:
職場で失敗したときにもハルウララの姿をみて、私も、もうちょっとがんばらなきゃと…。

誰もが己の人生と重ねた競走馬「ハルウララ」。
一度も勝てなかった彼女は、なぜこれほど、人の心を捉えて離さなかったのか…?
「後がない競馬場」と「売れ残りのハルウララ」
1996年、北海道生まれ。サラブレッドとしては体も小さく、臆病だった彼女は、いわば「売れ残り」として地方に引き取られることになる。それが、生涯を通じて走り続けることとなる「高知競馬場」だ。
だが、その競馬場もまた、深刻な経営難に瀕していた。そう語るのは、専属の実況アナを勤める橋口浩二さんだ。

高知競馬場 実況アナウンサー・橋口浩二氏:
2003年の春というのは、高知競馬がもう風前の灯火だったんです。もう本当に明日にも廃止になるかもしれない。それぐらい追い詰められた状況だったんです…。
当時の日本はバブルが完全にはじけ、“失われた10年”と呼ばれた時代。
高知競馬場も80億円を超える累積赤字を抱えていた。
そんな「後がない競馬場」と「売れ残りのハルウララ」の出会いが、後の伝説を生むことになる。そのキッカケは…。