あの、武豊をして11頭中10着という結果。ところが…。
当時 高知競馬場の広報担当・吉田 昌史さん:
普通やったら、そこでクルって向こうへ帰るのだけど、あれ1頭だけまだこっち見て来よるぞって。そこで武豊がこうやってね、手で鞭振りながら来るんで、みんながそこでもう、大歓声になって、だーっと大歓声で…。
なんと、負けたにもかかわらず、ハルウララのウイニングランが始まったのだ。走っていたのは、雨でぬかるんだコースの後方。
そのため、武騎手もハルウララもドロだらけだったが、堂々とコースを一周したハルウララに…。
武豊騎手:
もう一周あると思ったんですよ(会場内大笑い)やっぱりね、ちょっと悔しいなっていう思いはあるんで。また、もしね乗れる機会があれば、もう一度乗ってみたい気持ちはありますね。いや、すごく声援は聞こえましたね。聞こえたんですけど、どうすることもできないですからね。
レースに娘の名前を…
その後も、負け続けるハルウララを見守る家族がいた。
レースに娘の名前をつけた久保川宏一さん :
何よりも結果よりもひたむきさ、それに惹かれたって言った方がいいですかね。
当時、1万円の協賛金で、レースに娘の名前をつけた、久保川宏一さん。
その名も「頑張れ!ハルウララ・陽香(はるか)特別」。
久保川宏一さん :
私どもが(レースに)協賛させていただいた時、この子が保育園で、やっぱり一番じゃなきゃいけないっていう風な感じを受けてた時期なんですね。じゃんけん負けただけでも「嫌だ」って泣いてたような時期だったんですよ。ハルウララっていうお馬さんがいて、一番になれないんだけど頑張ってるお馬さんがひたむきに走ってる姿見て、「ハルちゃんハルちゃん頑張って、お馬さんも頑張ってるんだよー」って言って。だからハルちゃんいつもいつも一番じゃなくてもいいんだよって、それをすごく教えたくて。
その日の協賛レースが、今も残っている。
実況 :
ハルウララが向かいます。頑張れ!!ハルウララ・陽香特別、10頭の枠入りが完了。スタートしました!ハルウララ好スタートを切りました。
一番でなくてもいい。負けても、負けても走り続けるハルウララのようにひたむきに生きて欲しい。あのレースから22年、現在の久保川家は…。
久保川宏一さん :
はるかさーん。はるちゃーん。出てきました。
陽香さん:
陽香です。どーも。
あの日、父の膝に座っていた陽香さんも大きくなった。

陽香さん:
三歳とかそれぐらいのことでしたけれども、でもやっぱり少し覚えてますね。やっぱり当時(高知競馬に)行ったことも覚えてますし、後々ハルウララが引退してからも結構話題に上がることもあったので…。
(Q. 頑張れって響きましたか? )
そうですね。やっぱり当時なんかは特に、親からの頑張れって言葉は特に直接嬉しいものだったと思うので。
ハルウララの生き様に学んで欲しいと願った娘はいま…。