フランス人の絵を描いて
「もし今、自分の国に住む人の絵を描いてほしいと言われたら、どのような絵を描きますか」
移民政策の取材を進める中で、この問いに対するあるフランス人女性の答えが強く印象に残っている。彼女は「描けない」と冷静に言った。
理由を尋ねると、ヨーロッパ系からアフリカ系、中東・アジアと様々なルーツを持つ市民が国内の生活に溶け合っていて、かつて描かれたようなステレオタイプの「フランス人」というものが時代にそぐわないからだという。
我々日本人が問われたら、いま、どのような絵を描くのだろうか。
フランスはなぜ移民大国に 日本の先行く移民政策
日本でも外国人、とりわけ外国人労働者についての議論が熱を帯び始めている。
ネットを見ると日本のみならず、世界でも排斥的な言葉が乱立し、様々な感情が鋭く交錯する。少子高齢化による人手不足が深刻さを増す中、日本はこれから外国人とどのような社会を作っていくのか。
外国人政策、とりわけ移民政策に歴史を持ち、移民政策の先を行くフランスの現状を取材した。
「移民」を巡ってフランスには非常に長い歴史がある。
19世紀後半から産業化と人口減少などを背景に、近隣の欧州諸国からの労働者が大量に流入したことなどから、フランスは「移民の国」としての側面が強まり始めた。さらに、戦争などによる兵力・労働力不足を当時の植民地から受け入れことも拍車をかけた。
フランス国立統計経済研究所(INSEE)によると2024年時点でフランスに住む「移民(外国出生者)」は約770万人で、全人口の約11.3%に達する。
(※うち約260万人はフランス国籍を取得していて、移民であると同時にフランス人も含まれる)
現在フランスの移民政策は「受け入れ」と「統制」の二つの軸で設計されている。
「統合」を基本とし、移民に対してフランス社会の一員として振る舞う「フランス人化」を強く求めているとも言え、全ての合法移民は、入国後すぐに「共和制統合契約(CIR)」という文書に署名する。
このプログラムでは、フランスでの価値観や生活様式や権利と義務などを学ぶ他、行政手続きや日常生活の基礎を身につける研修が用意されている。中でも重要視されるのが、フランス語の習得だ。フランス語レベル試験で一定の水準に達していない移民について、レベルに応じて最大600時間の研修が必要となる。
他国から生活の安定を求めてフランスに渡航し、合法的に暮らす移民がいる一方で、制度の網からこぼれ不安定な立場となった不法移民の姿も国内では度外視できない。
支援が頼みの綱…生活の安定求めるも困窮
パリ市19区の一角。国の制度や支援からあぶれテント生活を余儀なくされている多くの移民が身を寄せあう広場がある。
周囲を道路で囲まれた広場には、複数のテントが小さなグループごとに点在していた。
そこで話をしてくれたのがアフリカ北東部の国、エリトリア国籍を持つ男性Aさん(30代)。本人の安全を守るために自身の名前や顔を出さない条件でこれまでの経緯を語ってくれた。
Aさんはエリトリア国籍を持つがスーダンで生まれ育ち、2017年に渡仏。
その後、移民申請を行うも2020年に却下されたという。
却下後はベルギーで移民申請を行うも再び却下。現在フランスにもう一度戻ってきたが、滞在許可などがなくこのテントで3ヶ月近くを過ごしているという。生活の支えは支援団体が配布する食事だ。
テントは、簡易ベッドのようなもので底上げされ、上部には工事現場で拾ってきたという防水のカバーが掛かっていた。テント内は、人ひとりが横になるのがやっと。衣服などの最低限の必需品が中に詰め込まれていた。
「今の唯一の希望はイギリスに渡ること」 Aさんは語る。
英語を話せる訳ではないが、「フランスよりイギリスの方が移民申請が通りやすく、仕事も見つかりやすいはず」と強く信じているという。
しかし、イギリスに渡るためには多額の費用が必要なため、資金もなくここで立ち尽くすしかない状況だ。
自ら選んだ移民として生きる道。現在のフランスでの生活についてどう思うのか。
フランス政府に求めたいことや希望していることはないのか聞くと。力ない答えが返ってきた。
「一切ない、なんの希望もない」
生活の安定を求めてフランスに来たということだが、それとはほど遠い暮らしが続く。
Aさんの口数はかなり少なく、やりとりも最低限の言葉しか出てこない。常に伏し目がちに話す、その目に活気はなかった。
またAさんによると、広場内でも小さなコミュニティーが存在しているという。
一つ一つのグループで人種別の“島”ができていて、スーダン出身の人々が集まる島や、エリトリア、ソマリアなど分かれて生活しているという。仲間と集まり情報を分け合い、危険から身を守るという意味では、生き延びるための知恵でもある。
このような、「同郷コミュニティー」はテント村だけではなく、パリ市内でも複数見られる。その典型との言えるのが「アフリカ人街」だ。
コンゴにギニア…まるでアフリカ
パリ18区のシャトールージュ(Chateau Rouge)。アフリカの熱気にあふれ、店舗名も、スーダンやコンゴ、ギニアといったアフリカ諸国の名前が付けられた店が多く軒を連ねるなど、多くのアフリカ系移民が集まる地域だ。
この街を訪れると、そこがパリであることを忘れてしまうほどだ。アフリカ人街として形成された歴史も長く、特に地域の中心部には、肉に魚、民族衣装や髪に着ける装飾品を扱う店舗なども多く、老若男女が集まり活気あふれるエリアだ。
コンゴの食材をメインで扱う店舗では、キャッサバ芋や魚の燻製、アフリカでよく食べられるという野菜のペーストが売られ、ところ狭しと現地料理に欠かせない食材が並ぶ。
地元民だけではなく郊外から月に1回など足を運び大量に買い込んで行く人も多いという。
この地域の取材中、あることに気づく。それは、フランス語以外の言語がかなり多く飛び交っている点だ。
店内や路上では、アフリカ諸国の言葉でやり取りする姿も目立ち、日常の買い物や立ち話の多くが、フランス語以外だけで完結してしまう場面も少なくないという。
この店舗でも、店主と客はアフリカ諸国での言語で会話が成立していて、フランス語はほとんど話されていなかった。
もちろん、この地域でもフランス語で生活を営んでいる人が大多数を占めるが、買い物などの一定の範疇ならフランス語をほとんど使わずに済んでしまう。しかし、それは、フランス社会に出たときに必要な情報や支援にアクセスしにくくなる「壁」にもなりかねない。
コミュニティーの外に出た場合に、言語が通じないと結果的に情報にアクセスすることもできず、必要な支援も受けることも出来ない現状が差し迫っている。
移民の言語習得の現場は、どうなっているのか。
