■大型水族館が続々開館
アツアツのラッコブームは、水族館ブームにもつながりました。
バブル期で新たなリゾート地が次々と開発されていく中、文化的でお客さんも多く集まる水族館に熱い視線が注がれたのです。また、大切にラッコを保護してきたアメリカでは、野生ラッコの数が増えてきました。

日本での好景気を背景にした臨海部の再開発、アメリカからの野生ラッコの輸出が増えたことが重なり、兵庫県に神戸市立須磨海浜水族園(現在の神戸須磨シーワールド)、神奈川県に八景島シーパラダイスなど、大型水族館が次々と開館、ラッコも展示されました。
また、サンシャイン国際水族館(現在のサンシャイン水族館)では、「都内でもラッコが見られる!」と話題になり、人気を博しました。
原油流出事故などによる汚染の影響で…
【1989年:原油流出事故から保護されたラッコを受け入れる】
海上で起きた人間による環境破壊のうち最大級と見なされている事故が、1989年にアラスカで発生しました。タンカーの座礁による原油流出事故です。ラッコをはじめ何十万もの生きものが命を落とし、いまでも汚染の影響が続いています。

日本でもいくつかの水族館が油まみれの海から保護されたラッコの受け入れに協力しました。福岡県にあるマリンワールド海の中道へは、4頭のラッコがやってきました。
アメリカのレスキューセンターのスタッフは、現地から日本のラッコプールに入るまでに立ちあい、国境を超えみんなで手を取りあいました。かわいくて人気者のラッコが、「人間によって危機にさらされているんだ」と気づかされたできごとでした。
このショッキングな事故は、1970年代から世界的に高まっていた環境問題意識と動物愛護精神に、さらなる拍車をかけます。
【1994年:ラッコブームの頂点!飼育頭数が最多122頭に!】
10年間で増え続けたラッコの国内飼育頭数は、1994年に28施設122頭とピークを迎え、多くの水族館でその姿を見ることができるようになりました。はじめて日本の水族館にきたときは、ほとんどだれも知らない動物だったのに、このころには動物園のパンダ並みに「水族館のアイドル」に。
ちなみにラッコブームのピークを迎えたこの年の日本は、バブル崩壊の直後で景気が悪く、雇用失業情勢も厳しい状況。かわいらしいラッコに、癒しを感じていた人も多かったかもしれません。