2026年、戦後81年を迎えてもなお、世に出ていない戦争の映像は数多く残されている。大分の市民団体「豊の国宇佐市塾」がアメリカの公文書館から入手・公開した映像群には、特攻隊員の最期や県内への空襲などリアルな記録が刻まれていた。

1943年、パプアニューギニアで撮影された「最後のフィルム」

公開された映像のひとつは、太平洋戦争中盤の1943年4月、パプアニューギニアの基地で日本軍自身が撮影したものだ。出撃前の訓示を受けたパイロットたちが、次々と飛行機に乗り込み離陸していく様子が映し出されている。

しかしこのフィルムは、思わぬ形で後世に残ることになった。撮影を担っていた機体は直後の戦闘で撃墜され、残骸を調査したアメリカ軍がフィルムを回収したのだ。敵の手によって保存されたという数奇な経緯が、映像にいっそうの重みを与えている。

「特攻」の瞬間を捉えた映像――18歳の兵曹も出撃していた

それから1年半後の1944年10月。爆弾を積んだ飛行機ごとパイロットが敵艦に体当たりする「特攻」が、組織的に始まった。

公開された映像には、アメリカ軍の空母フランクリンのそばで特攻に失敗した零戦が水柱を上げる場面が映っている。その直後、別の特攻機がフランクリンに突入し、爆炎が上がる。さらにもう1機が急接近するが、ギリギリのところで急上昇に転じ、新たな標的として空母ベローウッドへ向かった。ベローウッドは炎上し、乗組員たちが必死の消火作業にあたる姿も記録されている。

この特攻隊には、旧制出水中学校で学んだ崎田清一等兵曹(18)も含まれていたという。18歳という若さで出撃した青年の存在が、映像を単なる歴史資料以上のものにしている。

県内の空襲映像も公開――終戦5日前まで続いた爆撃

今回新たに公開された映像は、特攻の記録にとどまらない。激戦地・沖縄に近い沖永良部島の映像では、たびたびアメリカ軍機の攻撃を受けた知名青年学校の校舎が映し出されており、その校舎は同年7月に全焼したことが記録されている。

さらに注目されるのが、1945年8月10日に現在の薩摩川内市といちき串木野市が標的となった空襲の映像だ。機銃弾を撃ち込まれた建物から煙が上がる様子がはっきりと映っている。日本が降伏したのは、この5日後のことだった。

音声のない空襲映像は、静かであるがゆえにかえって重い事実を突きつける。終戦の間際まで、国民が常に死と隣り合わせだったことを、映像は無言のまま記録していた。

81年を経て、映像が伝えること

豊の国宇佐市塾がアメリカの公文書館から掘り起こしたこれらの映像は、地域の戦禍を具体的な形で現代に伝える貴重な資料だ。パイロットの顔、炎上する艦船、焼け落ちる校舎。記録された一場面一場面が、数字や文字だけでは伝わらない戦争の実像を映し出している。

戦後81年。証言者が少なくなるなかで、映像という記録がもつ力はいっそう大きくなっている。

鹿児島テレビ
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