現在日本の水族館にいるラッコは、鳥羽水族館(三重県)にいるメイとキラの2頭しかいない。
水族館に当たり前のようにいるラッコだが、そもそもどのようにして日本の水族館にやってきたのか。
動物学者の今泉忠明さんが監修を務めた『おいでよ!ラッコ沼への招待状』(世界文化社)から、1982年に日本に初めてラッコがやってきてから、2025年には1館2頭になっている現状を一部抜粋・再編集して紹介する。
ほとんど知られていかなかった…
日本の水族館にはじめてラッコがやってきたのは、今から40年以上も前のこと。それ以降、飼育下のラッコを取り巻く環境は時代とともに変化しています。
そんな「ラッコ事情」をいっしょにひもといていきましょう。

【1982年:日本にラッコがやってきた!…でも「ラッコ」ってなに?】
ラッコがはじめて日本の水族館にやってきたとき、「ラッコ」という動物を知っている人はほとんどいませんでした。水族館関係者でさえもです。というのも、明治時代ごろまではなじみのある動物でしたが、その素晴らしい毛皮を目当てに乱獲され、姿を消してしまったのです。
日本では、1911年の「膃肭臍(オットセイ)保護条約」の翌年に野生ラッコの捕獲を禁じる法律が制定され、現在も施行されています。さらに1975年に発効された「ワシントン条約」によって、ラッコをふくむ野生動物の国際取引が厳重に管理されるようになりました。
そのような状況でラッコを迎えられるようになったのは、静岡県にある伊豆・三津(みと)シーパラダイスの当時の館長・中島将行博士が「日本にラッコをまた迎えたい」という長年の夢を諦めなかったからです。
館長の大きな努力が実を結び、1982年、とうとう日本の水族館へはじめてラッコがやってきたのです!