グラウンドでの整列時もソーシャルディスタンスをとるモスクワ日本人学校の児童(2020年8月)
グラウンドでの整列時もソーシャルディスタンスをとるモスクワ日本人学校の児童(2020年8月)
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世界中で猛威をふるう新型コロナウイルス。感染拡大の真っただ中にロシアの首都・モスクワに移り住み、家族5人中、4人が感染した日本人一家がいる。父(当時40)はUHB北海道文化放送の特派員。2020年秋、中学3年生の長男(同15)と一時帰国した際に緊急入院した。
モスクワに残った3人のうち、母(同40)と小学3年生の長女(同9)が無症状ながら陽性に。
冬には小学6年生の次男(同12)も感染した。

海外で感染し、どのような日々を過ごしたのか。またロシアの現状は――。日本人学校のクラスターにも巻き込まれた次男が、窮屈で、我慢を強いられた日々を語る。

※UHBモスクワ特派員の関根弘貴が次男から聞き取り、記事を構成しました。

まるで”飛行機貸し切り” 入国禁止の前日モスクワ入り

モスクワ行きの乗客はわずか13人。ほぼ“貸し切り”だった(2020年3月)
モスクワ行きの乗客はわずか13人。ほぼ“貸し切り”だった(2020年3月)

ぼくは、モスクワ日本人学校に通う中学1年生です。当時は小学6年生。今から1年3か月前まで、北海道札幌市に住んでいましたが、父がテレビ局の記者で2019年10月に転勤したため、3学期の途中の2020年3月、母、兄、妹とともにモスクワへ引っ越しました。

当時はコロナの感染が広がり始めた時期です。3月18日に日本をたつ予定でしたが、16日、ロシア政府が18日から外国人を入国禁止にすると発表したため、急きょ17日、出国しました。

モスクワ時間は日本より6時間遅れ。早朝に札幌を出発し16時間半もたったのに、着いてもまだ夕方前だったのがとっても不思議でした。

2か月前に家族3人感染…今度は1人だけ陽性

次男の部屋の「宝物スペース」。同級生が修学旅行のお土産として持ってきてくれた絵付け用のマトリョーシカも(中央)飾られている
次男の部屋の「宝物スペース」。同級生が修学旅行のお土産として持ってきてくれた絵付け用のマトリョーシカも(中央)飾られている

モスクワ暮らしをはじめて7か月たった2020年10月。父、母、妹が感染。兄が帰国していて、ぼくが同居するなかで唯一の陰性だったため、3週間部屋にこもりました。

そのため、ぼくは修学旅行に行けませんでした。行けなかったのは5、6年生20人のうちぼくだけです。同級生たちは、モスクワから200キロほど離れたウラジーミルとスーズダリへ。それぞれ「黄金の環」や「白い教会群」という世界遺産がある街で、マトリョーシカの絵付けなどが予定されていました。

「集合写真に自分がいないのはさびしいな。でも、どうしようもないや。きっと行くチャンスはまだある」。泣きたい気持ちをグッとこらえ、隔離生活を続けました。

年の瀬に発熱 チェーン店でPCR検査し「陽性」

モスクワでチェーン展開するPCR検査所(6月)
モスクワでチェーン展開するPCR検査所(6月)

「ちょっと起きて! 熱を出して、ベッドから起き上がれないの。どうしよう」

2020年12月19日。ボーッとした意識の中で、あわてて父を呼ぶ母の声が聞こえました。体温は37.4度。とにかく体がだるい。このときは、自分がコロナに感染したなんて考える余裕はありませんでした。

翌日、チェーン展開する近所の民間検査所に行き、PCR検査を受けました。このころ、モスクワ市内に約100か所ありました。予約不要で料金は4000円ほど。10人ぐらいの列に並んだあと、防護服姿のスタッフが綿棒で鼻と口から粘膜を採取してくれました。

結果は18時間後、メールで知らされました。陽性です。軽症だったので、自宅療養しました。

スクールバスの運転手感染…車内は“密な空間“

モスクワ日本人学校のスクールバス。19人乗りに17人が乗っている(6月)
モスクワ日本人学校のスクールバス。19人乗りに17人が乗っている(6月)

感染経路は分かりませんが、きざしはありました。ぼくの発熱の2日前、ロシア人のスクールバスの運転手さんの陽性が明らかになったのです。日本人学校は自宅から10キロあまり。兄や妹をはじめ、近所に住む友だち3人とともにマイクロバスで通学していました。

19人乗りで、子どものほか、運転手や添乗員あわせて17人が乗車。残る2席は荷物置きとなり、離れて座れませんし、窓も一部しか開けられません。密な空間でした。

モスクワでは犯罪や事故に巻き込まれないように、日本人の子どもだけで外出することはありません。学校側も保護者も「スクールバスは密だけど、仕方がない」と受け止めていました。

スクールバスに乗るときはマスクと手袋の着用が必須(去年6月)
スクールバスに乗るときはマスクと手袋の着用が必須(去年6月)

乗車時間は片道30分ほど。モスクワは渋滞がひどく、別のバスでは1時間以上かかる場合もあります。「乗車中は常にマスクと手袋着用。おしゃべり禁止」。みんな感染したくないので、このルールを守っていましたが、学校でクラスターが起きました。

日本人学校 対策徹底するもクラスター発生

日本人学校の座席は1メートル間隔。児童数が少ないので、ゆとりがある(2月)
日本人学校の座席は1メートル間隔。児童数が少ないので、ゆとりがある(2月)

モスクワ日本人学校は児童80人、生徒19人(5月4日現在)。小学部と中学部が同じ建物に入っています。各学年1クラスで、1教室は多くても十数人です。

ぼくが住んでいた札幌市の学校よりも少しだけ狭いですが、人が少ない分、コロナ対策で1メートル間隔をとっても十分ゆとりがありました。

昼食は各自で弁当を持参しています。食べ終わるまで、私語は禁止。聞こえるのは箸や食器を動かす音だけ。「黙食(もくしょく)」です。

当然、隣同士で机を向かい合わせにくっつけることもありません。コロナの影響で、ロシアの学校が休校になる中でも、ぼくたちが学校に通うための工夫です。

「おしゃべりしながら食べられないのは、つまらない! みんなでワイワイ食べたい」。低学年の子は素直な気持ちを口にします。

日本人学校の昼食は会話なしの「黙食」(6月)
日本人学校の昼食は会話なしの「黙食」(6月)

夏場の教室は、換気のため常に一部の窓を開けっぱなし。冬でも15分おきに開放しました。氷点下10度クラスの冷気が入り込むため、とても寒くて、上着を着たまま授業を受けました。

それでもクラスターは発生しました。感染者は5人。ぼくのほかに同じバスに乗っていた子も陽性でした。学校は臨時休校になり、そのまま冬休みに入りました。

結局冬休み中に2人増え、7人となりました。「コロナウイルスの感染力の強さを思い知らされました」。熱心にコロナ対策を指導していた当時の校長先生は悔しそうでした。

持て余す体力 よりどころは友人との“Zoomで将棋“

特殊効果をかけながら「Zoom」で同級生とやりとりする次男(左、6月)
特殊効果をかけながら「Zoom」で同級生とやりとりする次男(左、6月)

「暇だ、暇だ、暇だ!やることが何もない。これから2週間どうしたらいいんだ」

ぼくの場合、4日で平熱に下がり、体調もすっかりよくなりました。体力が有り余り、時間を持て余していました。そこで大活躍したのがタブレット。オンライン会議アプリ「Zoom」を使った同級生との将棋にはまりました。

将棋盤の置き方やカメラ角度を調整し、相手に見えるように離したり、台の上に置いて高さを変えたり。相手の駒は、友達の声に合わせて自分で動かすことで、対局を成立させていました。

オンラインゲーム全盛の時代に、ずいぶんとアナログな方法だなと思われるかもしれませんが、ゲームの類いは両親に規制されていましたし、やっぱり友だちの顔を見ながら遊ぶ方が楽しかったです。

時間さえあればZoomでつながっていましたが、1週間もたつと、親の態度も変わります。「元気になったなら勉強しなさい」。ドア越しに聞こえてくるのは母の注意ばかりでした。

中学部入学の初日 担任は“モニターの向こう“

中学部入学式当日、コロナに感染し自宅待機だった担任はモニターの向こうに(4月)
中学部入学式当日、コロナに感染し自宅待機だった担任はモニターの向こうに(4月)

4月、ぼくは中学1年生となりました。ただ、新しい教室で出迎えてくれたのは副担任の先生。担任は無症状でしたがコロナに感染し、オンライン出席でした。

「なんか変な感じー」。もう1人モニター越しに出席していた女子が笑っていました。彼女は入学式直前に一時帰国から戻り、2週間の自宅待機。すべてのやりとりがとても不思議でした。

中学部に入学したのは5人です。小学校6年生のとき、10人いたクラスメイトは一気に減りました。親の転勤で中学部に進む前に日本へ戻ったり、今後の進路を見据え、ロシアの学校に転校したりしました。

小学部との合同入学式もコロナ仕様でした。新小学1年生は、6年生と手をつないで入場するはずでしたが、それもかないませんでした。

“学校クラスター“含めて16人 日本人感染者の4分の1に

日本人学校のオンライン授業。マラソン大会などのイベントも“生中継”した(去年10月)
日本人学校のオンライン授業。マラソン大会などのイベントも“生中継”した(去年10月)

学校では感染者が増え続けました。4月に小学生1人、小・中学部の先生4人が感染。5月に中学生2人、6月にも小学生1人と中学生1人が陽性になりました。これまでのすべてをあわせると16人に上ります。

ロシアに暮らす日本人は約2500人で、在ロシア日本大使館に感染したと連絡があったのは約60人。学校のクラスターが日本人社会では大きな割合を占めています。

コロナで学校を休んでも、オンラインで出席できます。希望するとタブレットを借りることも可能で、自宅待機中でも授業に加われます。でも、だでさえ少ない同級生が1人でも休むと、教室は寂しい雰囲気が漂います。

再び新規感染者が倍増…バケーション気分抑えられず?

モスクワの新規感染者の推移。6月8日から急増し約2.5倍に(5月25日~6月22日、ロシアコロナ対策本部まとめ)
モスクワの新規感染者の推移。6月8日から急増し約2.5倍に(5月25日~6月22日、ロシアコロナ対策本部まとめ)

ロシアの人口は、日本より少し多い1億4000万人です。感染者数は約550万人で日本の7倍近く。モスクワは6月初めまで新規感染者が減っていましたが、6月8日から増えはじめ、19日には過去最多の9120人が確認されました。

「インド株でもイギリス株でもない、ロシア独自の変異株が流行していることはデータから明らかになった」。国の研究機関がさらに拡大するかもしれないと発表しました。

モスクワ市政府は6月15日から5日間、企業に休業を義務づけました。ぼくも外出する機会は学校以外ほとんどありませんが、時折、母の食料品の買い出しに付き合って街に出ると、飲食店や公園はにぎわっています。地元の学校が夏休みに入り、バケーション気分を抑えられないようです。

日光浴や水遊びを楽しむ人でごった返すモスクワ川。マスクをしている人はいない(6月)
日光浴や水遊びを楽しむ人でごった返すモスクワ川。マスクをしている人はいない(6月)

屋内外を問わずマスクをしている人は、ほとんどいません。最近は日本の猛暑日並みの暑さの日もあり、川辺では日光浴や水遊びを楽しむ人で、ごった返しています。スーパーの入り口には日本と同じように消毒液が置いてありますが、ロシアの人が使っているところを見たことはありません。

ロシアでは国産のワクチンも開発されましたが、接種した人は1割程度です。人の動きも活発ですから、しっかりマスクをし続けてほしいな。

ショッピングモールの入り口に置かれている消毒液と手袋。ロシア人はほとんど使わない(6月)
ショッピングモールの入り口に置かれている消毒液と手袋。ロシア人はほとんど使わない(6月)

ロシアのコロナ禍での生活は“我慢”の連続です。毎日が窮屈で、こんな思いは二度としたくありません。

父の任期や高校受験を考えると、モスクワで暮らせる期間はあと1年しかありません。このまま家と学校の往復ばかりで終わってしまうのでしょうか。早く自由にマチを行き来できる日が来ることを願うばかりです。

外国でコロナに感染したらどうなるのか。特派員の家族の目線で、ロシアの現状を描きました。

(北海道文化放送)

北海道文化放送
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