「アンパンマンは正義のために戦うんですね」
あわら市の金津小学校で32年前に写された1枚の写真がある。真ん中に座り、満面の笑みでピースサインを作るのは、アンパンマンの作者、当時73歳のやなせたかしさんだ。
ダメ元で依頼も…快諾
1993年、金津小学校では創立120周年の記念事業としてやなせさんの講演会を開催した。企画したのは同校のPTAで、当時会長を務めていた坂野彰さんは「座ってお話したときからふわーっと明るくなるオーラを感じました」と振り返る。

講演会が行われたのは、アンパンマンのテレビ番組が始まって6年目の年。すでに日本中の子どもたちに大人気だったアンパンマンのキャラクターと、その生みの親であるやなせさん。坂野さんたちは縁もゆかりもない状況の中“ダメ元”で講演をお願いした。
「講演や式典を考える中で、やなせさんを呼んでアンパンマンの話をして欲しいとの声が上がった。東京に行ってお願いしたら、快く分かりました、と。PTAも先生方も子供たちも喜びました」

体育館いっぱいに集まった約800名の児童と保護者たち。やなせさんは駆け足で入場し、その場でアンパンマンの人気キャラクターを描いたり、自作の歌を歌いながら絵を描いたりと、工夫を凝らした講演会となった。

「みんな目がキラキラ。スライドで絵を見せて、それを持ってお話してくれるから、1000人近い会場がみんなが夢中になっていた」と坂野さんは当時の様子を語る。
戦争体験から生まれた“正義”への想い
講演の中で、やなせさんは子供たちに自身の信念をゆっくりと語りかけた。

「アンパンマンは正義のために戦っている。アンパンマンは自分の顔をあげる。自分の顔をひもじい人にあげる。それはどこの国へ行っても正しいわけ。そういうのが僕は正義だと思ってアンパンマンにやらせている」

「小さい子供でも、何のために生まれたかっていうことをちゃんと知っておかなきゃいけない。そして、何をして生きるのかというのが僕は大切だと思う。なんだか分からないまま一生終わることは非常にダメなこと」
講演を依頼した坂野さんは「困った人、ひもじい人、飢餓と貧困に苦しんでいる人に、という気持ちが最初にあったと、それはやはり戦争に行った実体験の中からだということは、サラリと言っていましたね。やなせ先生はその辺りをすらーっと流して、子供たちの笑顔が見たいんだよと」と話していたと振り返る。
子どもたちの通学路に残る「やなせたかしロード」
金津小学校での訪問の際、やなせさんは子供たちに向けて贈り物をした。それが、通学路に描かれたイラストだ。児童たちが毎日通る坂道に、やなせさんが金津小学校のために特別に描いた原画をもとにペイントされた。

「思い切って、子供たちがいつも登下校しているところにボーンと描いたらどうかなと思い、たまたま坂があったので、原画を送っていただだいてやなせたかしロードとしてペイントした」と坂野さん。

現在の校長は「アンパンマンが一番上にあるのがいいですね、坂を上って最後にアンパンマンが出迎える。子供たちにとっては当たり前になってしまっているんですけど、ありがたいことなんですよね」と語る。

32年前に生まれた縁は、いまも金津小学校にしっかりと息づいている。校長は「どんどんやなせたかしさんのことを取り上げて。日本に誇る、金津小学校の宝ですから」と話す。
やなせたかしさんが子供たちに伝えたかった思い。それを直接受け取った金津小学校の宝は、これからも次の世代へと受け継がれていく。