ヒロシマの原爆で亡くなったアメリカ人捕虜の調査をたった一人で続けてきた被爆者がいる。
40年近くにわたり遺族を探し、原爆死没者名簿に彼らの名を刻んできた。その歩みは今、次の世代へ託されようとしている。

大統領に抱き寄せられた一人の被爆者

2016年、アメリカのオバマ元大統領が現職として初めて広島市の平和公園を訪れた。

2016年、広島市を訪れたオバマ元大統領
2016年、広島市を訪れたオバマ元大統領
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演説で語られたのは、10万人を超える日本人犠牲者への追悼だけではない。何千人もの朝鮮人、そして原爆で亡くなったアメリカ人捕虜の存在だった。
演説を終えたオバマ元大統領は、一人の被爆者のもとへ歩み寄り、抱き寄せた。
森重昭さん。原爆で亡くなったアメリカ人捕虜の遺族を、長年にわたり探し続けてきた人物である。

「原爆はまさに死神そのものでした」

1945年8月6日。
森さんは爆心地から約2.5キロ離れた広島市西区己斐町の橋の上で被爆した。
被爆体験の講演で、当時をこう語っている。
「私はきのこ雲の中におりました。目の前は真っ暗です」

被爆体験を語る森重昭さん
被爆体験を語る森重昭さん

8歳だった少年の目に映ったのは、胸が裂け内臓が飛び出した人間の姿だった。倒壊した建物の下からは、「助けてくれ 助けてくれ」という声があちこちから聞こえてきたという。
「原爆はまさに死神そのものでした」

伏せられてきた「アメリカ兵の被爆死」

原爆による死者は、1945年末までに少なくとも14万人とされているが、詳細は今もわかっていない。

焦土と化したヒロシマ(米国戦略爆撃調査団撮影)
焦土と化したヒロシマ(米国戦略爆撃調査団撮影)

森さんは会社勤めのかたわら、被爆した己斐町の被害を調べ始めた。一人で1000軒以上を訪ね歩き、聞き取りを重ねる中で耳にしたのが、「アメリカ兵も原爆で犠牲になっていた」という証言だった。

原爆投下の直前、7月28日。
連合国軍が呉市上空から日本の戦艦を攻撃し、B29爆撃機「ロンサムレディー号」「タロア号」の2機が墜落した。生き残った兵士は日本軍の捕虜となり、その一部が広島市で被爆。

墜落した爆撃機に乗っていたアメリカ兵
墜落した爆撃機に乗っていたアメリカ兵

「アメリカ兵が味方の落とした原爆の被害にあっていた」
その事実は、戦後長く公表されることなく、家族にも伏せられてきた。

たった一人の名前を刻むために

ジェームズ・ライアン少尉。
20歳だった彼は、爆心地から約500メートルにあった中国憲兵隊司令部に捕虜として抑留され、被爆死した。

捕虜となったジェームズ・ライアン少尉
捕虜となったジェームズ・ライアン少尉

森さんは、被爆死したアメリカ兵について個人的に調査を開始する。当時のアメリカの人口は約2億人。手弁当で遺族を探し出し、手紙を交わし、交流を続けてきた。

そして1996年、遺族からの依頼で広島市役所を訪れた。
「原爆慰霊碑に弟の名前を記載してほしい、と強く強く願っていらっしゃる様子が書いてあります」

ライアン少尉の遺族からの手紙
ライアン少尉の遺族からの手紙

森さんの申請によって、ライアン少尉の名前は原爆死没者名簿に記され、慰霊碑に納められた。
森さんは当時の会見でうれしそうに語っている。
「たった一人の名前ですけれども、私にとっては本当に万感の思いがします」

約40年かけて登録した12人の遺影

平和公園にある追悼平和祈念館には、2万6千人を超える遺影が登録されている。その中に、12人のアメリカ兵の遺影がある。40年近くかけ、森さんが遺族を探し当てた人たちだ。

広島原爆死没者追悼平和祈念館の遺影コーナー
広島原爆死没者追悼平和祈念館の遺影コーナー

かつて捕虜がいた場所には、追悼の銘板も建てた。
伯父を原爆で失ったラルフ・ニールさんは感謝を口にする。

原爆で伯父を亡くしたラルフ・ニールさん
原爆で伯父を亡くしたラルフ・ニールさん

「伯父に何が起きたのかを調べてくれた。私たち家族は、森さんに本当に感謝しています。原爆投下が正しかったのか間違っていたのか私にはわからない。でも、二度と繰り返されてはいけないということだけは言える」

 「もう二度と使われない」ことを願って

オバマ元大統領との抱擁から10年。
森さんは、88歳になった今も調査を続けている。
「あと2人だけね。長崎で被爆したオランダ兵ですけど、遺族がまだ見つからないんですよ」
フルーン・アーリーさんと、クウマンス・ウィルム・ホートリープさん。一人は大工、一人はビジネスマンだった。連合国軍のオランダ兵として捕虜となり、長崎で被爆死した。

「もう、この人たちは国家に殉じたわけ。軍人じゃないので死ぬ必要はなかった」
森さんはこみ上げる思いを抑えながら言った。
「せめて追悼してあげようと思って…」
遺族を探し出し、被爆死したオランダ兵がいたということを、長崎の原爆資料館か追悼平和祈念館に登録したいと願っている。

2025年9月、原爆資料館メモリアルホールで講演
2025年9月、原爆資料館メモリアルホールで講演

高齢となり、体の衰えを感じる日々。それでも情熱は衰えない。
2025年9月、原爆資料館で講演中、森さんは聴衆に呼びかけた。
「2人の遺族を見つけることに、協力していただけたら大変うれしい」

敵味方を越え、原爆の犠牲者とその遺族に寄り添い続けた40年。森さんが一人で切り開いてきた道は、遠回りに見えて「核なき世界」へ最も近い道なのかもしれない。その続きを、次の世代に託そうとしている。
「原爆を使わせるような戦争は、もう二度とないことを願う。それを後世の人に知ってもらいたいとつくづく思います」

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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