ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から4年が経過した。法務省によると2026年1月末時点で日本国内に避難しているウクライナ人は1967人、このうち宮崎県内には19人が身を寄せている。宮崎市に家族5人で避難してきたヴォロキティナ・オレナさん(42歳)は、終わりの見えない戦争と向き合いながら、生活の安定に向け新たな一歩を踏み出している。
ウクライナを離れ、家族で宮崎へ避難
オレナさんは、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻開始から約3カ月後の2022年6月、宮崎市に避難してきた。

当時4歳から14歳だった3人の子どもと夫のディミトロさんと共に、宮崎市に住むウクライナ人の友人を頼っての決断だった。
オレナさんは当時を振り返る。「(ウクライナでは)普通に生活していたのに、どうしてこんなことが起きたのか信じられない。仕事をして、子どもたちを育てて、普通に暮らしていたのに、全部が壊れた」
オレナさん一家が暮らしていたのは、ロシアとの国境近くに位置する第2の都市ハルキウ。民家も攻撃対象となり、市民に死傷者が出る過酷な状況下で、戦争が日常の一部となっていった。

ヴォロキティナ・オレナさん:
みんな慣れてしまった。最初は、みんなストレスや恐怖を感じていたけど、毎日攻撃がボン、ボン、ボン(とあるから、)あまり関係ない、となったのね。それは一番怖いこと。
異国で安定した生活を模索する日々
いつ終わるかわからない避難生活。

オレナさんは2024年、働いていたレストランではボルシチを提供するなど、宮崎の生活に溶け込みながら生活の安定を模索してきた。

そして2025年5月、ウクライナでネイリストとして培った経験をいかし、宮崎市瀬頭のビルの一角にネイルサロンをオープンした。
オレナさんは、日本に来た時は思うように仕事がみつからなかったが、いつも仕事がしたいと思っていたという。「好きな仕事はネイル。どこで小さいお店を開こうかなといつも考えていた」と話す。

ヴォロキティナ・オレナさん:
すごくうれしい。好きな仕事ができる。お客さんが言ってくれる「かわいい!好き」がうれしい。まだ私の収入は少ないけど、頑張っているから、だんだんいっぱいになると思う。いっぱいにしたい、家族のためにね。

ヴォロキティナ・オレナさん:
(Q. 宮崎の生活は?)すごく好き。

ヴォロキティナ・オレナさん:
最初に来たときの1、2年はいつも帰りたいと思っていたけど、今はすごく慣れた。ここに仕事がある。子供は勉強ができる。

オレナさんは「今のウクライナには何もないから、すぐには帰れない。戦争が終わってもしばらくは日本に住む」と話す。
故郷ウクライナに思いを馳せながらも、長期化する避難生活という現実を受け入れ、前へ進む覚悟がうかがえる。

ヴォロキティナ・オレナさん:
毎日毎日みんな死んでいる。それは一番悪い。それを考えるといつもストレスになる。早く終わってほしい。みんな帰りたい、みんなに会いたい。でも今はできない。

2月24日、国連総会は緊急会合を開き、ロシア・ウクライナの双方に即時、完全、無条件の停戦を求める決議案が、日本やイギリスなど107カ国の賛成多数で採択された。
一方で、ロシアなど12カ国は反対、アメリカや中国など51カ国は棄権した。
世界各国が足並みを揃えての一刻も早い停戦が待たれる。
(テレビ宮崎)
