朝ドラで注目の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻・セツの実際の人物像は?近・現代歴史作家の青山誠さんが考察する。

文・写真=青山誠

夫好みの墓探しに奔走

「桜の花の返り咲き、長い旅の夢、松虫は皆何かヘルンの死ぬ知らせであったような気が致しまして、これを思うと、今も悲しさにたえません。」(小泉節子『思い出の記』より)

ハーンは虫の鳴声を好んだ。とくに「チンチロリン」と鳴く松虫がお気に入りで、籠に入れて飼っていたのだが…とある日、その鳴き声がなにやら物悲しく響いてくる。セツにはそう感じてとれた。

それから数日後の明治37年(1904)9月26日、ハーンは狭心症の発作により急死してしまう。嫌な予感が的中してしまう。

「私、死ニマストモ、泣ク、決シテイケマセン。私ノ骨、田舎ノ寂シイ小寺ニ埋メテクダサイ」

それが末期の言葉。夫の遺言に従ってセツは泣かなかった。というか、36歳の未亡人は忙し過ぎて泣いている暇などない。葬儀や墓探しなどやる事がいっぱい。

晩年のハーンが散歩を楽しんだ雑司ヶ谷の鬼子母神
晩年のハーンが散歩を楽しんだ雑司ヶ谷の鬼子母神
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青山霊園には外国人専用の広い埋葬区画があり、当時、東京在住の外国人の大半がここに葬られていた。が、ハーンが望む「田舎の寂しい小寺」のイメージからは程遠い。夫の好みをよく知るセツは、生前から彼が好んでよく散歩した雑司ヶ谷の共同墓地に墓を建立することにした。

「雑司ヶ谷の共同墓地は場所も淋しく、形勝の地でもあると云うので、それにする事に致しました。一体雑司ヶ谷はヘルンが好んで参りましたところでした。」(『思い出の記』より)

雑司ヶ谷霊園の一角には、セツが建てた墓がいまもある。

夫亡き後の金策、息子の引きこもり

葬儀を終えて墓も建立して、亡き夫との思い出に浸って、泣いたり笑ったり…するような余裕はまだなかった。