食の雑誌「dancyu」の元編集長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。
植野さんが紹介するのは「石狩鍋」。品川区・大井町にある北海道料理店「藤半」を訪れ、鮭の旨みを味噌と野菜の甘みで包み込み、体の芯から温まるひと鍋を紹介。
都内の“北海道料理のパイオニア”として半世紀にわたり愛されてきた歴史にも迫る。
大井町にある北海道料理店
品川区大井町駅近くにある「東小路飲食店街」は今でも闇市の名残を感じる。
そんなノスタルジックな町並みはそのままに、大井町は大規模な再開発の真っ最中で、来年春に「大井町トラックス」が誕生予定だ。
駅直結のアウトモール型施設で、飲食店に映画館や温浴施設など80店舗以上が出店。新たなランドマークとして、注目が集まっている。

都内における北海道料理専門店のパイオニアとして知られる「藤半」は、JR大井町駅から徒歩2分。店内はゆったり広々とした空間で全58席あり、会社帰りのサラリーマンや評判を聞きつけた客で賑わいを見せている。
毎日直送される北海道の新鮮な食材
店主は、佐藤洋司さん(81)。北海道根室市で生まれ、その後東京での会社勤めを経て、1973年に「藤半」を開店した。
調理場に立つのは佐藤さんに加え、店長・池野さんと半年前から料理の修業を始めた鶴野さんの3人。妻・静江さんも開店当初から佐藤さんと共に店を支えている。
「藤半」では、羽田空港に近い利点を活かし、北海道7つの地域から毎日食材を直送している。

釧路に近い厚岸町から取り寄せた「帆立貝正油焼」や、利尻産の大ぶりな「にしんの塩焼き」。さらに“ヨロイ”と呼ばれる希少部位が食べられる猪肉や、旨みが強いエゾ鹿のステーキなど、ジビエ料理も楽しめる。東京にいながら北海道を味わい尽くすことができる店だ。
バブルの頃は銀座にも出店
第二次大戦中の1944年、疎開先だった北海道・根室で生まれた佐藤さん。高校卒業後に東京の食品関連会社に就職し、営業先の飲食店で手伝いをしているうちに料理の楽しさを知ることに。

ある時手伝っていた店の店主から「俺の代わりに店やらない?」と誘われ、思い切って会社を退職し、料理人の道へ進んだという。
北海道料理店を始めた経緯については「2階で炉端焼きの店をやったんです。東京でも2、3軒しかない時にこれは面白いだろうと思って」と佐藤さん。

当時、東京に炉端焼きの店は数えるほどで、大井周辺には全くなかった。そこで佐藤さんは1973年に、28歳で「藤半」を開店。さらに「親戚が根室にいて、『材料送ってやるよ!』と、北海道の材料が入るようになってきて、『炉端焼きじゃなくて北海道料理にしちゃおう』と思いました」「北海道料理に変えた時もほとんど東京にはなかった」と語る。
その5年後には蒲田に2号店を、そして銀座にも出店するほどの人気店に。当時は「芸能人や著名人が来ていましたよ」「銀座(の店)をやってた頃は、ちょうどバブルに入って、すき焼きの店やしゃぶしゃぶの店などを4~5店舗やっていました」と懐かしそうに振り返る。
そして、バブル崩壊後は大井町店に絞って営業しているという。店を愛する佐藤さん、北海道料理店のパイオニアとしてその看板を守り続けている。

本日のお目当て、藤半の「石狩鍋」。
一口食べた植野さんは「味噌の甘みと野菜の甘み違う甘みが重なってじわっとくる、色んな甘みが融合するから鮭の味が引き立つ」と絶賛。
藤半「石狩鍋」レシピを紹介する。
