毎年、精霊船を受注し、作り続けてきた職人が初盆を迎えた。長崎くんちの傘鉾のしめ縄を手掛ける県内唯一の竹細工職人だ。故人が大好きだったお酒をたっぷり積んで、家族や弟子たちで見送った。

長崎の精霊船づくりを支える商店

倉庫にずらりと並ぶ精霊船の数々。長崎市の「松尾孝行商店」だ。

毎年60席ほどの精霊船を作っている
毎年60席ほどの精霊船を作っている
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創業約80年で、毎年60隻ほどの精霊船作りを請け負っている。

2代目・松尾孝行さんの精霊船
2代目・松尾孝行さんの精霊船

この日は2024年冬に亡くなった2代目・松尾孝行さんの精霊船を作っていた。

長崎くんちの傘鉾のしめ縄を手掛けていた
長崎くんちの傘鉾のしめ縄を手掛けていた

孝行さんは長崎くんちの傘鉾のしめ縄を長崎県内で唯一手がける竹細工職人だった。経営を管理していた妻を4年前に亡くし、認知症が急激に悪化。

4年前に妻を亡くした
4年前に妻を亡くした

約1年の入院生活を経て2024年11月、75歳で息を引き取った。多くを語らない昔ながらの職人かたぎだったという。

弟子が語る師匠の教え

船には、孝行さんがこれまでに手がけた傘鉾や門松などをデザインした。

傘鉾のしめ縄に使うワラを使用
傘鉾のしめ縄に使うワラを使用

商店の象徴にもなっている傘鉾のしめ縄に使うワラも使用した。孝行さんが信頼していた弟子や仲間たちが船を手がけた。

弟子たちも思い出は尽きない
弟子たちも思い出は尽きない

一緒に働いていた職人は「それは違う。ダメだとか。なにがダメか聞いても『いや、それはわからん』って。自分で考えろって。でもそのおかげで、技術が身についた」と思い出を語った。

3代目が継ぐ家業と想い

孝行さんの孫3人がやってきた。

孫たちはじいじに感謝の絵を描いた
孫たちはじいじに感謝の絵を描いた

子供たちの役目は絵を描くこと。大好きな「じいじ」と過ごしたかけがえのない時間を思い出しながら、ペンを走らせた。「じいじありがとうって書いた」と孫は話す。

いつも座って作業していた椅子
いつも座って作業していた椅子

3代目で孝行さんの娘・竹尾歩さんは、事務所で仕事をしていた父の姿がまぶたに焼きついている。いつも座って作業していた椅子を見ると、今でも父を思い出す。

3代目で孝行さんの娘・竹尾歩さん
3代目で孝行さんの娘・竹尾歩さん

素朴で飾らず仕事を続けた先代の思いを受け継ぎ、長崎にまつわるものをできるだけ続けたいと話す。「精霊船を作る仕事をしていた父と母だったので、それに恥じないような立派な船で送りたい。あんまり宣伝しすぎって言われるかもしれないけど、母は“いい船でお父さんを送ってくれたね”って喜んでくれているかなと感じる。父を乗せて送っていけるのは感慨深い」と、竹尾社長は語った。

大好きだったお酒をたっぷり積んで「ありがとう」

精霊流し当日。大好きだったお酒と共に、親戚や職人たち総出で孝行さんの精霊船は流された。

親戚や職人たちで船を流した
親戚や職人たちで船を流した

「松尾商店で長く船を作っているので、父を乗せてみんなで集まって送り出せるのが有難く、父も喜んでいると思う。お酒が大好きで寝ても覚めてもお酒だったので、お酒をたっぷり船に積んだ。楽しく送りたいと思う」と家族は話した。

家族写真とともに
家族写真とともに

船のバックには家族で撮った写真とともに「想い出をありがとう」の文字。

傘鉾やしめ縄のイラストも
傘鉾やしめ縄のイラストも

長崎の伝統文化を支え続けた職人の御霊は、自らが情熱を注いだ精霊船に乗せられ、旅立っていった。

(テレビ長崎)

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テレビ長崎
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