戦争末期、当時の九州帝国大学で起きたアメリカ人捕虜に対する生体解剖事件。
終戦から2021年で76年。「最後の証人」として戦争の狂気を訴えてきた医師が、次の世代に遺した思いとは。

戦争末期に行われた「生体解剖事件」

戦時中、九州帝国大学で行われた「生体解剖事件」に立ち会った東野利夫さんが2021年4月、肺炎のため亡くなった。

産婦人科医・東野利夫さん(当時92):
肺の切除とか胃の切除とか脳の手術とか…とにかく血が付いたものを、涙を拭いて…そういう質問をされると私は胸が痛くなるから、あまり生々しいところは…

東野利夫さん
東野利夫さん
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解剖されたのは大分県竹田の山中に墜落し、日本軍の捕虜となったB29の搭乗員たち。
その墜落現場のすぐそばで育った高校生・菅佑斗さん。菅さんは東野さんが亡くなる2週間前、東野さんの病室を訪ね、直接 言葉を交わしていた。

B29の搭乗員が捕虜となり解剖された
B29の搭乗員が捕虜となり解剖された

竹田高校3年・菅佑斗さん:
東野さんもかなり体が弱っている状態で、透析をされている時にお話を伺ったんですけど、19歳の時から戦後、長い時間が経っても忘れることのできない深い傷があるんだと

海水を血管に注入…“代用血液”の実験

今から76年前、九州帝国大学の医学部に1台のトラックが滑り込んできた。

産婦人科医・東野利夫さん(当時92):
騙して連れていった。予防接種か何かしてやると言ってね。手術中に、この人間たちは、名古屋とか大阪、九州を空襲・爆撃したB29の搭乗員であると聞いた

東野利夫さん
東野利夫さん

捕虜に対して行われたのは、予防接種や治療ではなく「人体実験」だった。

産婦人科医・東野利夫さん(当時92):
海水ですよ、代用血液。本土決戦になったら1,000万人の日本人が血を流すであろう、血が足りないと…

実験の最大の目的は「代用血液」の開発。沖縄に続き、本土が地上戦の舞台と想定された中、血液の代わりに海水が使えるかを試す実験が、陸軍の厳しい監視下で行われたのだ。

実験の最大の目的は「代用血液」の開発だった
実験の最大の目的は「代用血液」の開発だった

産婦人科医・東野利夫さん(当時92):
さっきまでピンピンと元気が良かった人(捕虜)がズボンを剥がれて、実習台に乗せられて、そして麻酔をかけて…。物をこうぶら下げる、入れる容器があって、それを交換する間、私が持っていた

海水は、大学近くの博多湾で汲まれたもの。薄めた海水を血管に注入された捕虜は、間もなく息絶えた。

博多湾の薄めた海水を使用したという
博多湾の薄めた海水を使用したという

眼球を取り出すため頭が動かないように手で押さえたり、血まみれの床を掃除したり、その記憶は産婦人科医になった後も東野さんを苦しめ続けた。

産婦人科医・東野利夫さん(当時92):
医者をやめようという気持ちはかなりありましたね。やめたい…。これが医者のすることかなって、戦争するしないに関わらず、医者というのは人を助けるのが仕事でしょ

利夫さんの長男で現在、東野産婦人科の院長を務める純彦さんは、当時の父の様子をはっきりと覚えている。

東野利夫さんの長男・東野純彦さん(64):
僕が小学6年の時でしたけど、何で父は入院しているんだろうと、まさに突然でしたね。突然、何もやれない状態になったのが、それで篠栗の方の病院に長く入院していたんですよ。本当に廃人のようになっていた。この人、大丈夫かと思っていたんですけど

東野利夫さんの長男・東野純彦さん
東野利夫さんの長男・東野純彦さん

東野さんが長い沈黙を破り、事件について語り始めたのは、遠藤周作の小説『海と毒薬』などの影響で、事実と異なる内容や誤解が広がったことも要因の一つだった。
『海と毒薬』はあくまでも小説で、事実とは異なる部分も多く含まれている。
しかし、余りにも具体的な描写から、事実と誤解した読者も多かった。

遠藤周作の小説『海と毒薬』
遠藤周作の小説『海と毒薬』

社会に広がった大きな反響。長男の純彦さんは、この『海と毒薬』の出版が、父・利夫さんが事件について語り始めるひとつのきっかけにもなったと話す。

東野利夫さんの長男・純彦さん(64):
戦後、猟奇的な事件としてあの事件は扱われた。医者の興味本位とは言わないけど、そういうことで解剖したということに対して、非常に、そうじゃないんだと

東野さんは今から4年前、生体解剖事件の「真実」を伝えるために自伝も出版した。

産婦人科医・東野利夫さん(当時92):
とにかく、事実を書き残しておかないと。どこの国の医者であろうとも、医者という仕事は人の命を救うのが天命ですよ。しかし戦争があれば、それさえも壊れてしまう

大分県竹田の山に墜落し、福岡で非業の死を遂げたアメリカ兵の捕虜たち。東野さんは亡くなる前、その竹田から福岡市の病室を訪れた高校生に対して、遺言のように言葉を託した。

竹田高校3年・菅祐斗さん(18):
苦しそうに話していました。確かに、もし時代が違ったら、B29に突撃していたのは自分だったかもしれないし、国が違ったら生体解剖されていたかもしれないということ、自分は耐えられただろうかというのをすごく考えましたし、それだけ戦争が狂気で倫理や人間の尊厳さえも失って、殺し合いをするものだと思いました

産婦人科医 東野利夫さん(当時92):
心の傷は、一生、治らない

戦争の惨禍を繰り返さないために、体験者の言葉を今、あらためて胸に刻む必要がある。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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