戦地での壮絶な経験で心に傷を負う「戦争トラウマ」は、兵士本人だけでなくその家族にも深い影響を及ぼす。原爆を投下した戦勝国・アメリカでも、長崎や沖縄など戦地での経験から戦争トラウマに苦しむ兵士と家族の姿があった。

「原爆投下後に被爆地に進駐した米兵の思い」アメリカが番組に

2025年4月、長崎と広島、そしてアメリカ本土を舞台にした番組制作のため、長崎空港にアメリカのドキュメンタリー番組の撮影隊が降り立った。

長崎空港に降り立った撮影クルー
長崎空港に降り立った撮影クルー
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番組のテーマは「アトミック ヴェテランズ」(被ばく退役軍人)だ。「アトミック ヴェテランズ」とは、原爆投下後に広島と長崎に入ったアメリカ軍の兵士を指す。

「20万人の兵士が進駐したが、アメリカ国内でもそのことを知っている人は多くはなく、学校でも教えられていない」と、監督のベアトリス・べセットさんは語る。

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館での撮影シーン
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館での撮影シーン

物語の主人公は、作家のヴィクトリア・ケリーさん(41)と報道記者だったカリンさん。原爆投下後に被爆地に進駐した元アメリカ兵を訪ねるほか、2人が持つ長崎と広島のそれぞれの関わりに迫るストーリーだ。

米兵だった祖父が遺した1冊のアルバム

長崎にゆかりを持つヴィクトリアさんは、1冊のアルバムを持ち来日した。

アルバムを見せるヴィクトリアさん
アルバムを見せるヴィクトリアさん

アルバムは祖父カーマイン・ジャルディさんのものだ。2024年に亡くなった祖母のクローゼットから見つかった。

ヴィクトリアさんの祖父・ジャルディさん
ヴィクトリアさんの祖父・ジャルディさん

アメリカ海兵隊の衛生兵だったジャルディさんは、戦時中のサイパン、沖縄を経て1945年9月23日、進駐軍の一員として長崎に入った。原爆投下、そして終戦から約1カ月後のことだった。

長崎は占領下に置かれ、原爆の威力をはかる調査が進められていた。街角では子供たちがチューインガムやチョコレートをねだる姿が見られた。

 
長崎の写真は一枚だけだった
長崎の写真は一枚だけだった

アルバムには123枚の写真が貼られていたが、長崎で撮影したのはわずか1枚。あとは帰国を待つ間に愛知県の米軍施設などで撮られたものだった。

誰も気づかなかった祖父の「戦争トラウマ」

アメリカに戻って、ジャルディさんの心身に異常が表れた。ジャルディさんは戦争から戻り、大きなトラウマを抱えていた。誰にも戦争について話さず酒を飲み始め「アルコール依存症」となり、肝不全と飲酒が原因で亡くなった。42歳だった。

 
帰国後、アルコール依存症になったジャルディさん
帰国後、アルコール依存症になったジャルディさん

戦地での悲惨な記憶を忘れられず、酒に溺れたジャルディさん。ヴィクトリアさんの母たちの記憶にあるのは、酒に酔って暴力をふるう父の姿だけだった。「戦争トラウマ」。心の傷は戦勝国の兵士たちをも蝕んだ。

ヴィクトリアさんは、「沖縄戦はおそらく、祖父にとって非常につらい経験で、原爆投下からわずか6週間後に長崎に来たことも、彼の軍歴に大きく影響したと思う。医学教育を受けた人間にとって戦争で傷ついている日米双方の苦しみを目の当たりにするのは非常に辛かったのだろう」と推測する。

朝長さんを訪ねるヴィクトリアさん
朝長さんを訪ねるヴィクトリアさん

祖父の心に大きな傷を与えた“原爆”とはどんなものだったのか。ヴィクトリアさんは、医師で長崎の被爆者・朝長万左男さんに話を聞いた。

朝長さんは「原爆の心理的被害は一生続く」と説明する
朝長さんは「原爆の心理的被害は一生続く」と説明する

被爆者・朝長万左男さん:1万人規模の被爆者調査で、被爆50年経っても心理的な被害が持続しているという結果が出た。つまり、原爆の心理的被害は一生涯続くと考えられる。

しかし、戦地や戦後の被爆地の惨状から受けた兵士たちの苦しみや不安は、アメリカで大きく取り上げられることはなかった。

祖父が持ち帰った「日章旗」被爆地へ

ヴィクトリアさんは、アルバムとともに「日章旗」を持参した。出征兵の武運を願って寄せ書きされた旗で、長崎出身者の兵士の物とほぼ特定されている。

ジャルディさんが保管していた日章旗
ジャルディさんが保管していた日章旗

祖父がどのような経緯でこの日章旗を手に入れたのか、誰かを傷つけ奪い取ったのではないか。ヴィクトリアさんは不安を覚えていた。

日章旗は「家族の歴史の一部」
日章旗は「家族の歴史の一部」

「旗を日本に返すのは重要だ。今は受け入れられなくても、次の世代は欲しい、見たい、と思うかもしれない。だって、家族の歴史の一部だから」とヴィクトリアさんは語る。

精神を病み、家族を苦しめた祖父だったが、戦後80年にわたりこの旗を家族が持ち続け、自分が長崎に返しに来られたことは、祖父の良心に触れる小さな光のように感じられた。

日章旗を返還したヴィクトリアさん
日章旗を返還したヴィクトリアさん

ヴィクトリアさんは「多くの兵士が帰国後、日本で手に入れたものを高額で売却していたが、祖父は生活に困っても一度も旗を売らなかった。誰かの家から旗を持ち帰ったことを恥じていたのだろう。旗の返還が日米の平和の証となればいいし、祖父もきっと、ここ長崎に旗があってほしかったと思っているだろう」と話す。

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪ねるヴィクトリアさん
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪ねるヴィクトリアさん

ドキュメンタリー番組は2025年8月、アメリカの公共放送サービスネットワークで放送が予定されている。

(テレビ長崎)

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テレビ長崎
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