2022年まで11回にわたり、8月9日の平和祈念式典のオープニングで平和の歌を届けて来た被爆者の合唱団「ひまわり」。被爆80年となる2025年、もう一度式典で歌を披露することになった。「今こそ、長崎から平和の歌を届けたい」との思いを胸に、練習に励む被爆者たちの姿を追った。

最後にもう一度 被爆者の歌を響かせたい

毎週火曜日、長崎市のコミュニティセンターから歌声が聞こえてくる。合唱団「ひまわり」だ。

被爆者らで結成された合唱団「ひまわり」
被爆者らで結成された合唱団「ひまわり」
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「ひまわり」は、世界で唯一の“被爆者”で構成される合唱団だ。2004年に「被爆者歌う会」として結成され、8月9日の平和祈念式典では、2010年から11回にわたりオープニングで平和の歌声を響かせてきた。

式典で歌う代表曲「もう二度と」は、“原爆の惨禍を二度と繰り返さないでほしい”という被爆者の願いが込められている。

「聞こえていますか、被爆者の声が」の歌詞で始まり、「もう二度とつくらないで、わたしたち被爆者を」と、切なる願いを歌に込める。

 
 
平和祈念式典で平和への祈りを歌に込めていた(2010年)
平和祈念式典で平和への祈りを歌に込めていた(2010年)

被爆体験や平和への思いをモチーフにしたオリジナル曲を数多く持ち、これまでに3枚のアルバムを発売。最も多い時には50人を超える被爆者が加わり、海外公演も行うなど精力的に活動した“被爆者の合唱団”だったが、2022年、高齢化やコロナ禍の団員の減少などを理由に解散した。

最後のステージから3年。2024年、日本被団協の「ノーベル平和賞受賞」をきっかけに、「ひまわり」は最後にもう一度、式典で歌うことになったのだ。

合唱団「ひまわり」主宰 寺井一通さん
合唱団「ひまわり」主宰 寺井一通さん

合唱団「ひまわり」主宰の寺井一通さんは「全世界がこれまでより集中して見てくれる、被爆者の歌声を響かせることに大きな意味がある」と語る。

“あの場所”で歌えば供養になる

2025年5月末に式典への出演が決まったものの、再スタートさせた「ひまわり」で活動していた被爆者はわずか7人。

ひまわり団長 田崎禎子さん(84)
ひまわり団長 田崎禎子さん(84)

団長の田崎禎子さん(84)は元ひまわりの団員約50人に参加を呼びかける手紙を送った。しかし、期待していたほど集まらない。体力的に無理をしないようにと家族のすすめで出演を辞めざるを得なかった人もいたという。

被爆者の平均年齢は86歳を超えた。被爆者が真夏にステージに立って歌う体力的な難しさに「ひまわり」は直面しているのだ。

それでも田崎さんは「あそこで歌うことができれば城山にいた叔母やいとこなどの親戚の供養ができる」と、平和祈念式典のステージで歌うことに特別な思いを持ち続けている。

8歳の頃の田崎さん
8歳の頃の田崎さん

1945年8月9日。田崎さんは4歳の時、母親と姉妹で遊びに行った長崎市愛宕町(爆心地から約4.5km)の祖父母の自宅近くで被爆した。大きなケガはなかったが、爆心地に近い城山町に住んでいた叔母やいとこは自宅で即死した。さらに徴兵された叔父は沖縄戦で自決、父親もフィリピンで戦死した。

家族写真を見つめる田崎さん
家族写真を見つめる田崎さん

平和祈念式典が営まれる平和公園は、原爆が投下された地点のすぐそばにある。「親戚が亡くなった場所に近い場所だから、この場所で歌を通して平和につながることができればこれ以上のことはない」と話す。

「音楽で平和を」世代を超えた思い

合唱団「ひまわり」は田崎さんの呼びかけで、活動から遠のいていた被爆者や新たに加わった胎内被爆者の32人が揃った。誰もが特別な思いを持って練習に励んでいる。

森田文子さん(83)
森田文子さん(83)

15年ぶりにひまわりに加わった森田文子さん(83)は「当時4歳で、防空壕の一番奥で助かった。自分の前で亡くなった人のことを思って、最後だからと思って歌っている」と語る。

大西康夫さん(79)
大西康夫さん(79)

今回「ひまわり」に入団し、初めて式典で歌う胎内被爆者の大西康夫さん(79)は「歌うことしかできないから、母のことを思いながら歌いたい」と話す。

ライブハウスで歌うひまわりのメンバー
ライブハウスで歌うひまわりのメンバー

7月中旬、「ひまわり」のメンバーは長崎市内にあるライブハウスに姿を現した。世界で戦争や核の脅威が続く中、音楽で平和な世界を訴えようと県内外で活動するアーティスト5組が集った。「ひまわり」にとって、こういう会場で他のジャンルの人達とコラボするのは初めてのことだった。

ひまわりのステージを見つめる観客たち
ひまわりのステージを見つめる観客たち

観客も若い世代が多い中、「ひまわり」は4曲を披露した。

ダニー・ジンさん(20)
ダニー・ジンさん(20)

パレスチナ人を父親に持つヒップホップアーティストのダニー・ジンさん(20)は「パレスチナ人の僕がどう思うか、被爆者がどう思うか、字づらだけでは伝わらないそういうものを訴えるのには音楽はすごくいいものだと思う」と語り、ラップで戦争への怒りを表現した。

出演を終えた田崎さんは、「世代や表現方法は違っても平和であってほしいという気持ちはみんな同じだと感じた」と話す。

折り鶴に込めた家族への思い

あの日から80年。4歳だった田崎さんとともに被爆した母や姉、妹が亡くなり、42年連れ添った夫も5年前に病気で他界した。夫も被爆者だった。

仏壇に手を合わせる田崎さん
仏壇に手を合わせる田崎さん

「主人はただ優しくてすごく明るい人だった。北海道に一緒に行きたいねと言っていたのに叶えられなかった」と田崎さんは涙ぐんだ。家族と暮らした家も、今は一人で暮らしている。

5年間、毎日鶴を折り続けている
5年間、毎日鶴を折り続けている

田崎さんは、亡くなった叔母、夫、母、妹たちを思いながら、5年間毎日鶴を折り続けている。これまでに折った鶴は2万5000羽。「毎日毎日折っているうちにこんなたくさんになった」と田崎さんは語る。

田崎さんが作った折り鶴
田崎さんが作った折り鶴

田崎さんは折り鶴を8月8日に平和公園に供え、その翌日、原爆で亡くなった家族や親族を思いながら歌う。

平和公園を訪れる田崎さん
平和公園を訪れる田崎さん

「ここで歌うのはもう最後だと思いますので、世界のトップの人が歌詞の意味をどれだけ分かってくれるか。一人一人それぞれ私たちの声を通して感じてほしい」と願いを込める。

最後のステージに向けて練習を続ける
最後のステージに向けて練習を続ける

ひまわりは8月9日の平和祈念式典で3年ぶりに、いよいよ本当に最後のステージに立つ。歌うのは「もう二度と」。被爆80年、“世界中の人達に被爆者の想いが届きますように”と願って。

「もう二度と」 寺井一通作詞・作曲

聞こえていますか  被爆者の声が
あなたの耳に  聞こえていますか
もう二度とつくらないでわたしたち被爆者を
あの青い空さえ  悲しみの色

覚えていますか  ヒロシマ・ナガサキ
いのちも愛も  燃え尽きたこと
もう二度とつくらないでわたしたち被爆者を
あの忌まわしい日を  繰り返さないで

聞こえていますか   世界の国から
平和を願う  声がするでしょう
もう二度と作らないでわたしたち被爆者を
この広い世界の  人々の中に

(テレビ長崎)

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テレビ長崎
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