落語といえば皆を笑いに包むだけではない。鹿児島・鹿屋市出身で創作落語を得意とする落語家・桂竹丸さんが「戦争」を伝える落語を披露した。多くの特攻隊員が飛び立った鹿屋出身であることに縁を感じたという竹丸さん、臨場感あふれる語り口で、若い世代にも“体験”が伝わっていた。
太平洋戦争時、鹿屋の航空基地から最も多くの特攻隊員が出撃
「史上最低の作戦。こんな愚かな作戦はないというのを考え出します」
中学生を前に、厳しい表情で話すのは、桂竹丸さん、68歳。
鹿児島県の大隅半島のほぼ中心部にある、鹿屋市吾平町出身の落語家だ。
竹丸さんは、生徒をじっと見つめて続けた。
「何をするかと言ったら『アメリカの軍艦に体当たりして、死んでいけ』と言うんです」。
竹丸さんが生まれた鹿屋には、太平洋戦争時、日本で最も多い1271人の特攻隊員が市内3つの航空基地から出撃し命を落としたという、つらく悲しい歴史がある。

目の前にないものを、あたかもあるように想像させるのが落語
東京を拠点に、寄席の出演や全国各地での公演に忙しい竹丸さんが、落語で戦争を伝え始めておよそ20年。その竹丸さんが出身地の鹿屋市・吾平中学校を訪れた。
体育館で竹丸さんは、まずは落語に慣れてもらおうと、100人ほどの生徒を前にそばを食べる芸を演じて見せた。
実際に手にしているのは右手の扇子だけだが、左手にどんぶりを乗せているように手のひらを上に向け、扇子を箸に見立てる。どんぶりの中の麺をほぐすように、扇子を上下左右に小刻みに動かし、口を膨らませ、ふぅふぅと息を吐きながら「そば熱いからね。ズルズルズル~」と麺をすするまでの一連の流れを、声や動きで表現。
本当にそばを食べているようなリアルな表現力に、生徒たちは驚いた様子だ。
目の前にないものをあたかもあるように語り、想像させるのが落語。
「みなさんのイマジネーション。頭の中で空想してできるのが落語なんです」と、竹丸さんは説明した。

徹底的に特攻作戦に反対した勇敢な指揮官を描いた物語
このあと、濃茶の着物に羽織をまとった竹丸さんは静かに高座に上がり、生徒たちと向かい合って座った。そこで披露したの落語は、「特攻セズ」。
主人公は、特攻を拒否し、特攻作戦に最後まで反対した美濃部 正少佐。彼を知る人から聞いた話や自分で調べたエピソードをもとに竹丸さんが作り上げた。


美濃部少佐は、大隅半島北部の宮崎県境、曽於市の旧海軍岩川航空基地にあった「芙蓉部隊」を指揮した人物。特攻ではなく敵が油断している夜間の奇襲攻撃にこだわっていたという。
「軍のトップの人が出てきて」
特攻作戦の命令が下される場面だ。
竹丸さんが、大きく声を張り上げた。
「すべての飛行機を特攻機とする!」
そして、次は話しかけるように、「つまり『パイロットはみんな死ね』と言っているんですよ」と続け、「誰一人として反論するものはおりませんでした」と、うつむいた。
竹丸さんがたたみかけた。
「そのとき、美濃部 正は立ち上がります」
竹丸さんの表情がみるみる険しくなっていく。
竹丸さん演じる美濃部少佐は語気を強めて作戦に反発する。
『特攻ではアメリカに勝てません!バッタバッタ撃ち落とされるのみです』と甲高い声で強く言い放った。

そして再び落ち着いた口調で「当時、上官に逆らうということはどれだけ恐ろしいことか美濃部はわかっていました」。緩急自在の口調と表情、そして仕草で美濃部少佐の生き様を語る。ベテラン落語家の真骨頂である。
竹丸さんのよどみない話芸が続く。「昼間は滑走路を隠すために牧草をまき、近くに牛を放牧する。掩体壕(えんたいごう=飛行機を守る格納庫)に飛行機を隠す。空から見れば本当に牧場にしか見えなかった。だからか、明け方にやってくる飛行機がどこから飛んでくるのか、アメリカはわからなかったそうです」このあたりが、美濃部少佐が奇襲攻撃にこだわった理由だろうか。
表情、動作で臨場感を演出した落語は生徒たちの心に響いた
まるで戦時中の緊迫した場に居合わせているような臨場感のある落語に、生徒からは大きな拍手が沸いた。
ある男子生徒は「竹丸師匠の表情だったり話し方だったり動作で、臨場感のあるすごい落語だと感じた」と、圧倒されたという表情で話してくれた。
また、別の女子生徒は「落語はすごく面白いものだと思っていたんですけど、今回、特攻とか大切な話をしていて心に響きました」と感想を述べた。
鹿屋出身なのも縁。落語で戦争を知らない世代に語り継いでいく
現在、68歳の竹丸さん。
多くの特攻隊員が飛び立った鹿屋に生まれたことに、縁を感じるという。
「鹿屋で生まれたことが必然的にこういう流れになってきたんだろう。あと何年の命かわからないけれども、できるだけ続けていきたいなあ」と、かみしめるように語った。

これからも新たな事実が分かれば「特攻セズ」に取り入れていくという竹丸さん。戦後80年の2025年夏、鹿屋市と曽於市でも披露する予定だ。
当時を知る人が少なくなる中、竹丸さんはこれからも落語の力で、戦争を知らない世代に語り継いでいく。
(鹿児島テレビ)