鹿児島市の鹿児島女子高校で、太平洋戦争の空襲で犠牲となった生徒の慰霊式が行われた。1945年6月の鹿児島大空襲では、鹿児島市で2300人以上が犠牲になりこの学校でも在校生が命を奪われた。この悲劇の記憶を次世代に伝えようと、若い世代が真摯に向き合っている。

700人の生徒が参加した慰霊式

2025年6月16日朝、鹿児島女子高校体育館で行われた慰霊祭には約700人の生徒が参加した。式では生徒と卒業生らが献花台に花を手向け、空襲で亡くなった当時の生徒を追悼した。
1945年6月17日の鹿児島市大空襲では、約6万6000人が被災したとされている。鹿児島女子高校の前身、鹿児島市立女子興業高校では、校舎や宿舎が全焼。防火要員として宿舎に残っていた13人の生徒が命を落とした。
当時校舎があった場所は現在「共研公園」として市民の憩いの場となっている。その一角に慰霊碑が建てられていて犠牲者を悼む心は今も受け継がれている。

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共研公園の一角にたたずむ慰霊碑
共研公園の一角にたたずむ慰霊碑

空襲を体験した卒業生の思いから始まった追悼行事

鹿児島女子高校での慰霊式は2019年に始まった。背景には、当時空襲を経験した卒業生・別府典子さんらの強い思いがあった。別府さんは2024年6月に亡くなったが、生前、間一髪で命拾いをした体験を語った録音が残っていた。「爆弾が(落ちて)13~14人かな? 即死です! 本当に、戦争は、いやですね!」と一言一言かみしめるように訴える別府さんの肉声には体験者だからこその説得力がある。
ここで別府さんは「鹿児島の町がなすすべもなく焼けるのを目の当たりにしました。戦争のむごさを経験しました」とも語っていた。しかし別府さん亡き今、戦争の記憶をいかに継承していくかは大きな課題となっている。

学生時代の別府さん
学生時代の別府さん

式に参加した生徒たちは、先輩方の思いを受け止め、平和への誓いを新たにした。参加した生徒の一人は「生きたくても生きられなかった人たちがたくさんいて、将来やりたいことができなかった人たちもいるので、自分が今できることをしっかりして将来につなげられるようにしていきたい」と語った。

また別の生徒は「今、自分たちがやりたいことを思いきりできるのは、先輩方が命を賭けて守ってくださったからだと思うので、今できることを全力で頑張りたい。これから自分の家族や親しい友人に伝えて、この出来事を周りの人にも知ってもらいたい」と、記憶の継承への決意を示した。

戦後80年 犠牲になった先輩の無念の思いは後輩へ

終戦から80年となり、戦争を直接経験した世代は減少している。空襲を体験した方々の声を直接聞くことが難しくなる中、次世代への継承はより重要だ。

戦争の悲惨さと平和の大切さ。そして命の尊さ。80年前鹿児島大空襲で命を奪われた先輩たちのメッセージは、後輩たちに、静かに、しかし確実に受け継がれている。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
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