太平洋戦争末期、鹿児島県阿久根市の沖合に沈んだまま眠り続けていた日本海軍の戦闘機・紫電改が、ついに海底から姿を現した。81年の時を経て引き上げられた機体には、エンジンと翼が原形をとどめており、関係者は「紫電改の本来の強い姿がそのまま残っている」と語った。
水深わずか1メートルの海底に眠っていた
紫電改が沈んでいたのは、阿久根市・脇本海岸の沖合約200メートルの地点。干潮時の水深がわずか約1メートルという浅瀬だ。クレーンを搭載した台船による引き上げ作業は、満潮時刻となる午前10時すぎから開始された。

作業開始から約1時間後、まず2枚のプロペラが引き上げられた。しかしその後、機体に残っていた砂の重さによって釣り上げ重量が想定を超え、紫電改を支えるパイプが折れ曲がるトラブルが発生。作業は一時中断を余儀なくされた。補強用のパイプを追加したのち作業は再開され、開始から約4時間後、ついに機体が海中から姿を現した。

胴体はほぼ失われていたものの、エンジンと翼は原形をとどめた状態だった。
林喜重大尉の最後の飛行
この紫電改を操縦していたのは、神奈川県出身の林喜重大尉だ。昭和20年4月21日、林大尉は現在の鹿児島県霧島市福山町にあった基地から部下とともに出撃。本土空襲のために飛来したB29の編隊を発見し、激しい対空砲火を浴びながらも攻撃を仕掛けた。

しかし、林大尉の紫電改も被弾。阿久根市の脇本海岸沖への不時着水を試みたが、顔面を計器盤に強く打ち、そのまま命を落とした。
81年が経ったいま、その機体が引き上げられた。
地域のNPOとクラウドファンディングが実現させた
この引き上げを主導したのは、鹿児島県出水市の住民らで構成されるNPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」だ。クラウドファンディングなどで資金を募り、今回の作業を実現させた。
代表の肥本英輔さんは引き上げ後、こう語った。
「全体的に紫電改の本来の強い姿がそのまま残っている。(林大尉に)『あなたの機体を多くの人に見てもらう機会をいただけました』と(言いたい)」

地域の有志たちが、81年間海底に眠り続けた戦争の遺産を、未来へとつなごうとしている。
世界に5機、国内にはわずか2機
紫電改は現在、世界に5機しか現存しない希少な機体だ。そのうち国内にあるのは、今回引き上げられた機体を含めてわずか2機のみとなっている。
機体は引き上げ翌日の9日、出水市の米ノ津港に下ろされた。そこからおよそ1年をかけて塩抜き作業が施される予定だ。その後の保管方法については、現時点では未定となっている。

81年前の空を駆けた翼が、これから多くの人の目に触れる機会を得ようとしている。林大尉の勇戦と、地域の人々の思いを乗せて。
【動画で見る▶紫電改「81年ぶり浮上」 阿久根沖で引き上げ、国内現存2機目の貴重な戦闘機が姿を現す】
