2025年は太平洋戦争終結から80年。鹿児島県南九州市の小学校で、学校周辺で起きた戦争の歴史について学ぶ「平和学習」が開かれた。児童らは身近な場所で80年前起きた出来事を学び、平和への思いを新たにしていた。
地域に残る戦争の歴史
2025年5月9日、鹿児島県南九州市川辺町の清水小学校。「日本のはるか遠くのオーストラリア近くまで日本軍は進出して勢力圏を広げた」と、80年前の戦争について語るのは、同じ南九州市の知覧町にある知覧特攻平和会館の学芸員、八巻聡さんだ。
じっと耳を傾けるのは、清水小学校の6年生2人。
八巻さんが語るのは、地域に残る戦争の歴史だ。


太平洋戦争の末期、昭和20年(1945年)の6月3日朝。川辺町などの上空では日本軍とアメリカ軍の戦闘機による空中戦が展開された。

南さつま市加世田の万世飛行場から出撃した相川治三郎中尉は、戦闘機「飛燕」で敵機を撃墜。しかし、別の敵機に後ろから攻撃され、パラシュートで脱出を試みたものの、パラシュートのひもが敵機に当たって切れ、落下した相川中尉は戦死。戦闘機も墜落した。
80年前、実際にこの地で起こったことだ。


学校からわずか600メートルの地点に残る戦跡
話を聞いた2人が八巻さんに案内されて訪れたのは、相川中尉の戦闘機が墜落したとされる地点。学校からは600メートルほどしか離れていない。
木々に囲まれ、道路からは見えにくい場所に建つ石碑が、ひっそりと当時の記憶を今に伝えている。


「相川さんをなくした飛行機がそのまま墜落した。その場所がここ」と話す八巻さん。
雨に濡れながら八巻さんの説明を聞き終えた2人は石碑に花を手向け、手を合わせていた。
戦争の悲惨さと平和の大切さを学ぶ
平和学習に参加した清水小学校の池崎ひよりさんは「どういう理由があっても、戦争で亡くなったりするのはよくない」と話し、同じく参加した大坪樹生さんも「戦争は二度としてはいけないし、苦しさを他の人に教えたり、家族に言いたい」と、今回学んだ悲惨な戦争の歴史と、平和の大切さを周りに伝えていくことを決意した。


その後学校へ戻った2人は、鹿児島から多くの若者が飛び立ち命を落とした特攻隊についても学んだ。
「特攻隊員になってから何カ月くらいで特攻(出撃)をしますか?」と、池崎さんが聞くと、学芸員の八巻さんは「部隊によってまちまちだが、特攻隊が編成され、1カ月くらいの比較的早い段階で特攻の最前線に行って出撃して亡くなった人もいるし、比較的時間がかかり最前線に行き出撃する場合もある」と説明した。

八巻さんは「自分たちで(戦跡の)現場を回ることで実際に昔、戦争があったのだと感じてほしい」と語った。自分たちが生まれるはるか前、学びやのすぐ近くで起きた悲しい出来事について知り、2人は平和の大切さを実感しているようだった。
(鹿児島テレビ)